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子どものころの行きつけの駄菓子屋は、もうとっくの昔になくなった。 ここは生まれ育ったところではないが、あの頃の雰囲気を今に残す一角だ。 とくに床屋の左のパン屋は、私がこの近くに住むようになってから全く変わっていない。 この店は昔から、パンや饅頭、和菓子などを自前で作っていて、学校にも卸していた老舗だ。 酒まんが名物で、注文すると、はいよー、と言って2〜3個のおまけを付けてくれるおばちゃんもまた名物だ。 その店が去年暮れごろからシャッターを下ろす日が多くなり、今年になってからは開けていない。・・。
懐かしいお店です。 パン屋さん 和菓子屋さん 個人商店 一軒減り2軒減り 商店街のお店の数が半分に なり 商店街ごと消滅・・・ こちらのサイトで都会には個人商店が商店街が 存続しているのを拝見します。 ならば人口減少の所為なのでしょうか? 都会への全ての集中だからなのでしょうか? 現役の商店主が引退を決めたら後継者は居ない。 さて五年後の地方の商店街の行く末は?
2025年01月22日15時18分
頂雅さん 子どもが帰って来ないのです。 店を継がないどころか、家も継がない。継いでも生活できないからです。 ①人口減少による消費減少 ②買い物は郊外のスーパーで ③高齢化 などなど。
2025年01月22日18時29分
Sr.にっしゃん うーむ。国はその方向に動いていますね。 でもそれでは、これまで何百年も続いてきた田舎の文化、日本人的文化が滅びてしまいます。 400年前に始まったアメリカ文化と、日本文化の違いは、人間関係にあります。 アメリカは、異なるところからやって来た人間が同居して作った国です。個人の欲求を基本とした交渉、契約を基調とした国家です。我を闘わせ、論理的に支持が多い我を選択する風土です。それは今でも変わりません。今回のトランプの当選は、我を強く主張する国民が大勢を占めるようになった結果です。 東京をはじめとする日本の都会は、特に戦後、アメリカ的に発展して、便利になりました。 都会は、異なる地方からやって来た人たちが育てた街です。アメリカの始まりと同様です。従って、自他それぞれの欲求の交渉・契約(暗黙も含む)を了承することでお隣同士にななり得たのです。つまり自と他の欲求のせめぎ合いの結果です。いわば物質的な損得勘定文化によって発展したのです。 しかし本来の日本文化の特徴は、自他の区別が希薄なことです。つまり、他人のことを自分のことの如く捉える文化です。相手に喜んでもらおうとする、いわばお持て成しの心です。これは、自と他との距離、間合いがある程度あってできることです。 街の集中化は人の集中化であり、そうなると、人同士の、物資的にも精神的にも距離感が狭くなり、自と他の我がぶつかり合いやすくなります。そこで合理的な契約的関係で処理されるようになって行きます。自と他が分かれるのです。個人主義の原点でしょう。 しかし本来、人間同士は共同体です。これは多くの動物、いや生命体そのものの在りようです。 素朴な田舎にはまだそれが残り、地方の町にもその名残りがあります。 私は、それを残し育てるような地域社会を作れればいいな、と思います。 さて、そのために、私は街をコンパクトにする代わりに、交通網をもっと自由にすることを提案します。 近隣には無料バスを頻繁に走らせ、市を越える距離では電車代やバス代を1/3程度にし、高速料金も1/10にする。なに、アメリカなどはFreewayです。スピードがではなく、料金がフリーなのです。 そのことによって、街がコンパクトになるのと同様の効果を生み、同時に田舎風の人間らしい人間関係を保てます。 自分は自分のやりたいようにやりたい、というのは自分だけの我の現れです。他の我と共にある我。他をも包んだ自。それを育てる社会でなければ、人間同士の争いは絶えないでしょう。 結局、戦争の根源は、国家の我のぶつかり合いなのですから。
2025年01月23日17時05分
楓花さん その通りです。 人と人とが触れ合う町の商店は姿を消し、コンビニ、スーパーなどのチェーン店だけになってしまうでしょう。すでにアメリカではそうです。 たしかにconvenient、便利です。 しかし、失うものは? ここのおばちゃんとの触れ合い、子どもの頃の駄菓子屋のおじちゃん、おばちゃん、その子どもたちとの付き合いの体験は・・?
2025年01月23日19時28分
ぶっちゃん
こんにちは。 昭和は遠くなりにけりですね。
2025年01月22日14時33分