Ma Fu
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フィルムカメラでモノクロフィルムに撮影すると、 光のエネルギーで化学反応が起こり、臭化銀が分解して銀の黒い粒子ができ、さらにネガを印画紙にプリントして初めて写真じゃないですか。 じゃ、それをさらにフィルムスキャナで読み取って、 2進数に変換されたデータをデバイスを介して見る画像はなんだ? フィルムで撮った写真と呼べるのだろうか? 光を最終的にデジタル化しているんだから、やっていることはデジタルカメラと一緒じゃないか?!
ありがとうございます。 ほんとどこで線を引くかだと思います。 フィルムっぽい描写になるアプリなどもたくさんありますが、 フィルムを愛用している方にから見れば「フィルムっぽい」、つまりフィルムではないのを見抜かれてしまうはずです。フィルムっぽいデジタルとフィルムからデジタル化に線を引くとすれば、AIの言う通りかもしれません。 光る板の上でルーペを覗きながら見るリバーサルフィルムや、 暗室で印画紙に浮かび上がる絵を見た時の感動を超えることができないのも事実だと思います。
2024年12月27日20時59分
こんばんは。はじめまして。 私は銀塩から写真に親しみ、モノクロの自家現像もしていた50歳です。 以下、私見ですのでお読み捨てください。長文で失礼いたします。 問題提起されたことは仰る通りである一方、極めて哲学的な課題であり明確な答えは出せず、どこで納得するかということになるでしょう。 本物とは、例えば絵画や書道なら原本のみ、アナログ楽器なら生演奏のみ。写真はもう少し近代的ですが同様のことが言えそうです。 本当の銀塩の完成形がプリントだと仮定すると、プリントして自己満足にとどまるか、多数の方に公開する場合は例えば写真展などが発表の場となるでしょう。 しかし、このような公開の場ではデジタルプロセスを経るしかなく、Yoeko様もお書きの通りフィルム独特の表現を楽しむということになりそうです。デジタルカメラで撮影された画像をフィルムっぽく仕上げたものとは異なる表現と言えるかと思います。 しかし、私たちは従来からリバーサルフィルムで撮影し、雑誌や写真集などデジタルプロセスの有無にかかわらず「本当の銀塩」ではないものは目にしてきたので、多数の方に「公開するという方法」という意味ではそれほど大きな違いはないようにも感じます。 ただ、仰る通り、化学反応で現れてくる画は感動的なものであり最上級の喜びでした。 その一方でテクノロジーの進化も認めるべきとも考えております。写真の原点はピンホールカメラでレンズなどありませんでした。しかし、レンズ(ガラス)を通ったものは本物か?。進化を認めなければ不毛な議論へと繋がってしまいそうです。 「本物の」や「本当の」を追求すると究極の世界に入ってしまうので、やはり許容値を自身で決めるしかないと考えています。 長文で失礼いたしました。
2024年12月29日19時36分
run_photoさま こんばんは、はじめまして。 まさに私の深層心理を表していただいたようですっきりいたしました。 ありがとうございます。 特に原本や生演奏のみ本物としてしまっては芸術の世界は狭い領域で限定されてしまいますね。まさにフィルムでの表現も同じことが言えそうです。 デジタルの進化を楽しみつつ、手軽にフィルムや自家現像も楽しめた時代に感謝したいと思います。
2024年12月29日22時57分
Yoeko
フィルムカメラで撮影し、それをスキャンしてデジタル化する過程で、確かにデジタルカメラと同じように光をデジタルデータに変換しています。しかし、フィルムの特性や化学的なプロセスを経た画像には、独自の質感や色調、粒子感があります。これらは、フィルム特有のアナログな味わいをもたらし、その点でデジタルカメラで直接撮影された画像とは異なります。 フィルムで撮影された写真は、そのアナログなプロセスを通して得られる独特の美しさや物語性があり、それをデジタル化してもなお、その特性や雰囲気を保持していると言えます。したがって、スキャンされたデジタル画像も「フィルムで撮った写真」と呼ぶことができるでしょう。 by 毎度のAI
2024年12月27日18時53分