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生駒山上遊園にて・・・世界大戦を乗り越えて今に残る日本最古の飛行塔は、「大型遊戯機械の父」・土井万蔵率いる土井文化運動機製作所(大正7年創業、平成元年タップスと改称、平成15年に廃業)の製作。日本で最初の飛行塔は、大正9年、北大阪電気鉄道が鉄道の開業に先駆けて千里山花壇(後の千里山遊園、昭和25年閉園)を開設、現在の関西大学第3学舎あたりに設置したもので、当然、土井文化運動機製作所製作。
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世界大戦を乗り越えて今に残る日本最古の飛行塔は、「大型遊戯機械の父」・土井万蔵率いる土井文化運動機製作所(大正7年創業、平成元年タップスと改称、平成15年に廃業)の製作。日本で最初の飛行塔は、大正9年、北大阪電気鉄道が鉄道の開業に先駆けて千里山花壇(後の千里山遊園、昭和25年閉園)を開設、現在の関西大学第3学舎あたりに設置したもので、当然、土井文化運動機製作所製作。 昭和5年には、京都・愛宕山山上の愛宕山遊園地にも飛行塔を設置し、愛宕山鉄道とセットで人気を集めたことから、山上遊園地に飛行塔というのは、この時代のシンボル的な存在の大型遊具だった(生駒山上遊園地の飛行塔は、16基目で、1基〜15基は現存していません)。 生駒山上遊園地の飛行塔は、鉄塔の上部を展望台にするというユニークな設計。 実はこの設計にはカラクリがあり、アームに下がるゴンドラが下降するとエレベーターが上昇するという省エネ設計になっていて、展望台としても人気を集めたのです。 その展望台機能を戦時下には軍部が注目し、紀淡海峡までを視野にいれる海軍航空隊の防空監視所として機能したことから、ケーブルカーは海軍専用路線、飛行塔は金属供出を免れて(ゴンドラとエレベーターのみ撤去)、戦後へと引き継がれ、今も現役で活躍しているのです。
2024年12月23日08時53分