チ ャ ビ ィ
ファン登録
J
B
沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰で、天文元年(1532)の頃であるといわれています。 倉内城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の後北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名により激しい争奪が繰りひろげられてきました。 天正8年(1580)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来た沼田平八郎景義を謀殺して沼田氏を滅亡させました。
チ ャ ビ ィ
これ以後、この地の領有を主張する北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、天正18年(1590)に北条方が真田方の名胡桃城を攻略したことが契機となり、北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。 秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵し、昌幸は沼田城を嫡子の信幸に与え信濃国上田へ移りました。 六文銭ゆかりの城ですね。
2024年12月07日06時02分