yoshi.s
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わが町の駅。 変哲もない田舎の駅だが、ここが子どもの頃から東京につながるどこでもドアーの入り口だった。 父母に連れられ何度か東京に行った。 隣町の高校に通っている頃には、未来を開く入り口でもあった。 しかし今では高速道もあるし、そこをバスも通っている。もはやここは、私にとって二番目、三番目のドアーに過ぎない。 そんな駅に向かって夕散歩をしていると、空が茜色に染まって来た。そしてみるみるうちにその色が変化し、蒼と茜が混在する空になった。 そうか。この駅は幽玄の世界への入り口でもあったのか。
Zacky01さん これに代わる新しいドアができれば良いのですが、その兆候はまだ見られません。 せめてこのネットの世界がそのドアになるかな。 でも選択肢が多すぎて、どのドアを開けていいかわかりません。ドアの選び方を教えてあげないとね。
2024年12月02日15時50分
若いころは大阪で電車通勤してましたが、今はたまに都会に出かけると迷子になります。 目的地に着くまで何人かに道を聞いたり・・・ 小さな田舎の駅に返ってくるとホッとします。
2024年12月03日11時53分
記録によると常磐線は昭和38年に平以南の交流電化が完成したとありますので、それ以前は、尾久機関区と平機関区配属のC62型蒸気機関車が客車列車を牽引したとあります。国鉄最強のC62型機関車の勇姿がもし記憶の中にあられたら、素晴らしいことです(^^)
2024年12月04日05時14分
基線長さん ははあ。そうですか。 ちょうど私が高校に入って隣町に通い出した1〜2年前から電車になったことを憶えています。 中学1〜2年の頃は、授業中に汽車の汽笛が風に乗って聞こえてきたこと、さらに小生の頃に祖母に連れられて親戚の家に汽車で行った時には、トンネルに入った時、開けておいた窓から煙がもうもうと入って来て、驚いて窓を閉めたことなども憶えています。お説によれば、あの汽車は国鉄最強のC62型だったのですね。
2024年12月04日17時41分
Zacky01
おはようございます。 > ここが子どもの頃から東京につながるどこでもドアーの入り口だった > この駅は幽玄の世界への入り口 そのお気持ちわかります。 少しづつ活気を失っていくどこでもドア、、昨日NHKで千葉の久留里線の廃線が報道されておりました。 子供達の未来へのどこでもドアがなくなっていく、、
2024年12月02日07時25分