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先ほどの「硯石」を覗いた時に手前右にあった「四脚門」です。 2つの「宝殿」の間にある建物で、1582年(天正10年)に兵変に依り焼失したものを1608年(長慶13年)に徳川家康が家臣大久保石見守長安(武田武士で石見銀山、佐渡金山の開発者)に命じて造営寄進し、国家の安泰を祈願したそうです。 別名を勅使門と言い、「幣拝殿」前に直接入れる門です。
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ちなみに、信長が信州・甲州侵攻で武田勝頼を打ったときも武田の信仰の篤かった諏訪大社の上社を焼き討ちにしています。 故に上社の建物はほとんどが1600年代以降に再建されたものだそうです。 一方、この諏訪大社の焼き討ちの数か月後、信長は本能寺で自害してしまいますが、ここ諏訪での光秀とのゴタゴタや諏訪大社の祟りが…と、諏訪の方々の中で言われているようです…ね(^^;
2024年11月04日07時03分