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去る10月10日は昭和34年に結婚式を挙げた両親の結婚記念日でした。 実家整理中に撮影者不詳の結婚式撮影フィルムが完全な状態で見つかりました。今では大変珍しいモノクロポジフィルムです。 私が数十年後に購入した同機種・同レンズで当時撮影されていたとは偶然にしても驚きです。しかも現像方法まで記録されています。 下の2枚はカメラ店にフィルムからプリントしてもらった写真です。
60年以上の時を超えて再プリントされたモノクロ写真とその物語にこころを動かされます。 この写真には撮られた時の時代やその場の空気感、写っている人の緊張感や人柄まで写っていると思います。 お父様のお顔と雰囲気がnikonさんにそっくりなのにビックリと言うか、ちょっと感動しています^^
2024年10月14日23時22分
スゴイですね。 現在の表現でいえば Exchangeable image file format のフィルムケースに収められているなんて(@ ̄□ ̄@;)!! カメラ店の方も驚かれたでしょうね。
2024年10月15日05時18分
昭和34年に撮影されたお写真が今の時代に再びこうして目の前に! すばらしいですねぇ。 このお写真を撮ったカメラとレンズもきちんと記録として残されて。 うまく言葉で表現てきませんが、お気軽、なあなあな現代の日常とは違い 昔の人は何事も誠実にきちんとていねいに一つのことを成し遂げていたんだなぁと 思ってしまいます。写真だって一枚一枚、それはそれはていねいに撮ったことでしょう。
2024年10月15日08時52分
撮影されてる横からの撮影だったのでしょうか?デベロッパーの温度と時間まで記入されているのに撮影された方の人柄が見えてきますね。 何よりお二人ともとても素敵でカッコいいです^^
2024年10月15日10時04分
ジーバツさん ありがとうございます。 当時の上記組み合わせは83,000円、国民の平均月収が 28,000円の時代でしたから、月収の約3倍は現代換算 ですと150万円程でしょうか。 東の横浜、西の神戸と共に北の函館も発展の一途を たどり、仰るとおり貿易や漁業で裕福な方が多く いたと聞いています。 一方で、思い出の品が戦争で焼けたり家庭の事情で 写真どころではないというご家庭もまだまだ沢山 あったでしょうから、このようなものが現存して いるだけでもありがたいと思います。
2024年10月15日12時36分
上海カーニバルさん ありがとうございます。 仰るとおり正にタイムトラベラーの気分です。 僅か30枚程の写真から、当時の時代背景、両親や両家 の人々に思いを馳せるのは貴重な体験でした。 親父とそっくりなのは子供の頃からでした。つまり子供 の頃から老け顔。いやでしたね~。 でもそのおかげで中年以降の顔の老化スピードが同級生 より遅いことに気づきました^^
2024年10月15日12時51分
デーデーポッポさん ありがとうございます。 この様なデーターを書き残し本人に渡すとはいったい どのような方だったのでしょう。 母の父(私の祖父)は教員で写真を趣味にしていたと 聞いたことがありますが、このフィルムには祖父本人も 写っていますので写真仲間が撮影してくれたのでしょうか。
2024年10月15日13時22分
よねまるさん ありがとうございます。 デジタルですとランニングコストは限りなくゼロに 近いですし、必要とあらば後でEXIFデータやGPS記録 を調べれば良しと思いがちです。 この手書きは本当に貴重ですね。 時代はどのように変化しようとも、よねまるさんの 仰るとおり「誠実かつ丁寧に事を成し遂げる」という のはとても大切な事だと実感します。
2024年10月15日13時47分
niteさん ありがとうございます。 角度、盲点でした。 確かに記念撮影的場面でありながら真正面からの 写真はフィルムの中にひとつもありませんでした。 両親のアルバムに残っている写真もこのフィルム から焼いたと思われるこの写真です。 謎多きフィルムです。 素敵でカッコいい、帰宅後に両親の写真に報告します^^
2024年10月15日14時03分
私の亡き両親が入籍したのは前年の三十三年の年末頃だったと思います。 割とお父様とうちの親父(昭和八年)は近い年齢かもしれませんね。 ただ… 私の生年月日は昭和三十三年十月なんですよ。 数年前戸籍謄本取って知りました。 思わず苦笑い…(汗
2024年10月17日22時03分
オズマさん ありがとうございます。 今はそのギャップをおめでた婚というのだとか。 今月お誕生日なのですね。おめでとうございます。 親父は昭和6年生まれです。とても近いですね。 オズマさんのお父様もウチの親父も子供の頃に 受けた教育は、将来は兵隊になりお国のために 命を捧げるというとんでもないものでした。 憲法改正するからには有事の際はウチの子に 銃後の守りなどさせず喜んで戦地に向かわせ 立派に散ってもらいます、という政治家が いたら一票入れてあげる。
2024年10月17日23時37分
GX400sp
何と何と・・・ 感慨深い。 函館は舶来の物に触れる機会が地方都市の中では多い街だったのだろうと 想像しています。カメラという文化も地方都市の割には浸透していたのかもしれませんね お母様、お父様のお顔を拡大表示で拝見しております。 何故か涙が出てきそうな気分になています。 写真とはすばらしものだなとあらためて感じました。
2024年10月14日23時10分