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2006年ドイツの旅 旧市街散策 聖バルトロメウス大聖堂@フランクフルト

2006年ドイツの旅 旧市街散策 聖バルトロメウス大聖堂@フランクフルト

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    さて、いよいよ聖バルトロメウス大聖堂の中に入りました。 身廊の入り口から内陣を見た光景です。 両側に広い側廊、翼廊もあります。 赤褐色の砂岩で組み上げられた高い柱と天井により広々とした空間が広がり、大きく細かな幾何学模様の明るいステンドグラスによって光が入り、比較的明るい大聖堂です。 ここで歴代の神聖ローマ帝国の皇帝選挙や戴冠式が行われてきたのです…

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    ここで、聖バルトロメウス大聖堂の歴史についてまとめておきます。 現在の教会は、同じ場所にある 4番目の教会だそうです。 発掘調査により 7 世紀にまで遡る遺構が発見されているそうですが、フランク王国における最初の王朝メロヴィング朝時代(5~8世紀)の教会を基礎として14世紀から15世紀にかけて本格的に建設されたようです。 1356年に神聖ローマ皇帝カール4世によって金印勅書が発布されて以来、神聖ローマ帝国の皇帝はドイツ国王としてこの教会で選出され、1562年から1792年にかけて皇帝はここで戴冠式を行いました。 18世紀末から19世紀にかけて、フランクフルトが世俗化すると、聖バルトロメウス大聖堂は市の信仰の教会となり、市が所有し維持管理し、カトリックやルーテル派の会衆が使用することになったようです。 聖バルトロメウス大聖堂は、特に19世紀にはドイツにおける国家統一の象徴とみなされていました。 この教会は司教座(=大聖堂)となったことはありませんでしたが、フランクフルト最大の教会であり、中世ドイツ皇帝の戴冠式など帝国政治において重要な役割を果たしたため、帝国史上最も重要な建物のひとつでした。 1867年、聖バルトロメウス大聖堂は火災で焼失し、その後現在の様式で再建されています。 第二次世界大戦中、フランクフルトは連合国の6回にわたる爆撃によって壊滅的な被害を受け、聖バルトロメウス大聖堂も内部が完全に焼け落ちました。 が、1950年代に再建されました。 ちなみに…フランク王国の後に神聖ローマ帝国に移行していきますが、神聖ローマ帝国は小さな国の連合体であり、「首都」という概念が薄く、しいて言えばその時の皇帝が住んでいたところが「首都」ということでした…例えば…アーヘン、プラハ、ウィーンです。 しかし、皇帝の選挙や戴冠式がここフランクフルトで、ということで帝国の一貫した重要拠点がここフランクフルトだったというわけです。

    2024年10月09日05時40分

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