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2006年ドイツの旅 旧市街散策 ネオゴシックのエピファニー教会@フランクフルト

2006年ドイツの旅 旧市街散策 ネオゴシックのエピファニー教会@フランクフルト

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    エピファニー教会(ドライケーニッヒ教会/三王教会)/Dreikönigskircheを回り込んで敷地に入りました… が、大きい教会なので近づきすぎて全容が撮りきれません(^^; ネオゴシック様式の美しい教会です。 歴史についてはコメント欄で…

    コメント1件

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    ここはフランクフルトのマイン川対岸にあるザクセンハウゼン地区で、かつてはフランクフルトとは別の街でした。 1338 年、ザクセンハウゼン市民がドイツ騎士団の病院拡張のために礼拝堂を寄贈し、後期ゴシック様式のシンプルな二通路ホール教会を建てたそうです。 1340 年、この礼拝堂は三人の王(東方三博士)に奉献され、これがこの教会の起源です。 ただ、この礼拝堂はフランクフルトの聖バルトロメウス大聖堂の一部として扱われ、すべての公式の教会行為は大聖堂の司祭にゆだねられていました。 一方、フランクフルトと通ずる橋には門があり、その門が夜間は施錠されるため、夜は大聖堂からの司牧的な支援が不可能だったので、ザクセンハウゼンの市民は大きな不満を持っていました。 市民の度重なる要求と枢機卿の仲介により、聖バルトロメウス大聖堂の分教会と認められたのは1452年になってからだったそうです。 宗教改革は1522 年からフランクフルトで広まっており、1525年にエピファニー教会は​​改革派の説教者のみが勤務するフランクフルト初の教会となりました。 1531年、評議会は常勤説教者を新たに雇い、ようやくザクセンハウゼンにおける何世紀にもわたるキリスト教徒の不利益は解消されたそうです。 が…小さなエピファニー教会は徐々に荒廃していきました。 19世紀に入って教会の建替えが提案されましたが、なかなか進展しませんでした。 一方で、1867年に大聖堂が焼失し、その後大聖堂の再建が検討され、礼拝は古いエピファニー教会で行われていたそうです。 それを契機に古いエピファニー教会も建て直す機運が高まり、1875年に取り壊し、再建工事が始まり1881年に落成しました。 第二次世界大戦中、フランクフルトへの空襲で教会は軽微な被害を受けただけで、1954年に修復されました。 第二次世界大戦後、教会は教会音楽の中心地となり、教会コンサートが多く開催されているとのことです。

    2024年10月07日06時58分

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