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ラインフェルス城/Burg Rheinfelsのレストランから見下ろすライン川です♪ あいにくの曇り空ですが、いや~絶景ですね~♪ 上流側の眺望で、麓の街がザンクト・ゴアー/Sankt Goar、左側対岸の街がザンクト・ゴアールスハウゼン/Sankt Goarshausenです。 対岸の中央寄り右の斜面に見える古城がネコ城/Burg Katzです。 お腹が減ったのを忘れしばし眺めていました♪ ここで、ネコ城について、ラインフェルス城との関係も交えてコメント欄に追記します。
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ラインフェルス城は1245年にカッツェネルンボーゲン家のディーター5世によって建造されたお城です。 ライン川の通行料徴税という重要な役割を担っていました。 一方で対岸のネコ城(正式名称:ノイカッツェンエルンボーゲン城)はラインフェルス城を築いてから約100年後の1371年頃に、左岸だけでなく右岸にも領土を持ったカッツェンエルンボーゲン伯爵ヴィルヘルム2世によって、軍備強化と税徴収のために建てられました。 この頃のライン川周辺は、船からの税収目当てに領地争いが絶えなかったようです。 このように、両城はカッツェネルンボーゲン家によって築かれた城です。 ネコ城は正式名称にあるように“ノイ”と付いていますね。 “ノイ”とはドイツ語のNeu、英語でNewにあたりますから、さしずめ「新カッツェンエルンボーゲン城」ということになります。 ではなぜ通称が“ネコ/Katz”城なのか…由来は2つあるようです。 一つはこの城を建てた人物が猫/Katzのような顔をしていたから。 もう一つは、カッツェンエルンボーゲン/Katzenelnbogenはドイツ語で「猫の肘」という意味を持つことに因んでいるようです。 なるほどです(^.^) ラインフェルス城は先にも説明したように強固な要塞を誇っていましたが、ネコ城もライン川の急カーブ(ローレライ)の近くにあり、谷からの攻撃は不可能とされ大砲ができるまでは難攻不落の城といわれていました。 火薬大砲による攻撃がはじまると、ネコ城の防御体制も強化されることになり、3km先にあるラインフェルス城と肉眼でコンタクトを取り合うことを可能にするために高さ60mに再建されたそうです。 ところが、後継ぎがいなかったカッツェンエルボーゲン家は1479年に断絶してしまいます… その後、三十年戦争の最中にも関わらず、先にも説明したように遺産争いが勃発し、1623年にヘッセン・ダルムシュタット方伯がラインフェルス城とネコ城の2つを手中に収めました。 1692年のプファルツ継承戦争中にフランス軍の攻撃などもあり、数度にわたり破壊と改造改築が繰り返され、1800年に修繕されました。 しかし、難攻不落といわれ堅固なネコ城も、ラインフェルス城同様にフランス革命の時ナポレオンによって1806年に破壊されてしまいました。 現在も大きな塔の上部が失われていますが、これはナポレオンの攻撃を受けた時のものといわれています。 ナポレオン没落後の1816年にはナッサウ公領となっています。 何度か所有者が変わり1896から1898年にかけて再建され、1936年のナチス時代には帝国勤労奉仕隊が、戦後はドイツ連邦共和国の所有となっています。 ちなみに、ネコ城があるザンクト・ゴアールスハウゼンは同じような犬山城がある愛知県犬山市と友好都市になっているそうです(^.^)
2024年07月17日05時51分