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リューデスハイムの街を発って2㎞ほど走ると、対岸の中洲にぽつんと建つ塔が見えました。 ネズミの塔/Binger Mäuseturmです。 これは行き交う船から税を徴収するためにマインツ大司教ハットー2世によって13世紀に築かれたとの伝説が残る塔です。 なお、13世紀に建てられた塔は、戦火で焼けてしまい現在残っているのは、1855年にプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって再建されたものだそうです。 この塔の変った名の由来は…コメント欄につづきます…
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ネズミの塔にはおぞましい伝説が…あるとかないとか… 大司教ハットー2世は農民から穀物の10分の1の税を取り立て、大きな穀物庫に貯えていました。 ある年、飢饉に見舞われ飢えた農民はハットー2世に食べ物乞いをしましたが、その農民を穀物庫に閉じ込めて火をつけ皆殺しにしました。 その穀物庫からネズミが大量発生しハットー2世の屋敷を襲いました。 ハットー2世は慌てて中洲の塔に逃げ込みましたが、ネズミたちは川を渡り彼に襲いかかり生きたまま食べてしまいました。 この伝説により「ネズミの塔」と呼ばれるようになったとか… もっとも、このお話はあくまで作り話らしく、史実として実在していたハットー2世の治世は良かったようです… では、“ネズミ”の起源は…といえば… この塔はもともと税関塔として船からの通行料を徴収していました。 通過する際に支払った通行料がドイツ語でマウト(maut)あるいはムータ(muta)であったことでマウト塔/Mautturmと呼ばれるようになり、最終的にネズミ塔を意味する《モイゼトゥルム(Mäuseturm)》と変化したと推測されるそうですよ(^.^) ところで、このネズミの塔の対岸(右岸)の葡萄畑の丘に廃墟になった古城があります。 探せど写真に写っておらず残念ですが、城の建つ斜面真下を通過しているので撮れなかったのかもしれません。 この城は12世紀にマインツ大司教の命によって建てられたエーレンフェルス城/Burgruine Ehrenfelsで、ネズミの塔と対になって通行料の徴収をしていたようです。 この古城については対岸の電車の車窓やラインクルーズの船から眺めた写真がupされていますので、タグ“エーレンフェルス城”をクリックしてご覧ください。 世界遺産にもなっているリューデスハイムから下流のコブレンツまでの約65km間の両岸には、このような中世から存在し続ける古城が約30も建っています。 楽しんで下っていきましょう♪
2024年07月05日06時06分