オズマのつぶやき
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B
もの心ついた人生で初めての記憶の欠片は この通りでした。 私が2~3歳から1~2年程暮らした四畳半一間の貸間は 当然もう残ってはおりません。 共同便所で銭湯通いでした。 角の朝鮮人のおばさんに可愛がられ 日雇いの親父の貧乏生活でして そのおばさんが私を気に入って養子にくれとお袋に言ったそうです。 当時の写真が一枚だけ残ってますが 今とは違ってとても可愛い顔してました。(笑 Nikon FG20/Nikkor-S Auto 50mm F1.4 Fomapan100/TMAX 9分
ち太郎
記憶に残っているだけ素晴らしいと思います。 私は父親が撮った写真が残っていて、井戸の横で盥に入った素っ裸な自分ですね。 当時のミゼットですら入って来れない路地奥の小さな木造でした。 路地を出た所には靴屋さんの自宅と作業場。その向かいには廃業した銭湯の釜戸で暮らす家族。入口にはドアが無くカーテンを吊るしただけです。いつも煤けたアッパッパーを着ていた小さな女の子がいて同級生になり、後に同窓会で会いました。すごい綺麗な女性になっていました。 風呂の横には四畳半が3部屋並んだ平屋のアパートで、3軒とも満室。夜に内輪揉めの声が響いてました。 我が家の向かいのアパートは二階建てで、一階の角にはラオ屋さんの老夫婦、階段には血飛沫はあったことも(笑)。 私は玄関を出るとラオ屋さんの屋台が目の前に。 そのアパートの向かいのアパートは、そっち系の人がいて、昼間から夜にお勤めの女性とイチャつく声が..。 とにかくありえないほど酷かった。 まだまだ書ききれないほどの記憶があります。 これ以上書くと泣けて来ますのでこのあたりで止めます。 長々とすみませんでした。
2024年06月22日11時00分