オズマのつぶやき
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JR大曽根駅から上飯田までの数キロですが 鉄板ホルモンへの道というのか…(苦笑 そして歩きだして直ぐに大曾根彩紅橋(旧町名)へ辿り着いた。 なぜこのショットを撮影したか。 それは現職の頃だから今から二十年以上前 右手の建物はおばちゃんがやってる八百屋で 朝早くから店が開けられていて いつもここで人夫さんをワゴンに乗せて現場に向かっていたんだ。 Nikon FG20/Nikkor-S Auto 50mm F1.4 Fomapan100/TMAX 9分
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これは親父の頃からで 直ぐ近くにはハローワークの職安があり 昭和三十年代から4~50年代までは日雇い人夫が集まる場所だったからだ。 名古屋市内で一番有名なところは笹島でやはり職安前がそうである。 今でもワゴン車が来て人夫さんを乗せているのかもしれないね。 他にも熱田区などあったようだ。 当時は手配師と呼ばれる強面の反社系統の人が幅を利かせていたようだ。 私がサラリーマンをやめて親父の仕事を手伝いだした頃 ここで刺青した手配師が私に 「あんたが小津さんの息子さんかぁ(笑」と言われビビったよ。(笑 親父に訊くと 「あいつは怒ると日本刀持って行くからなぁ…」なんて言ってたよ。 以上、話が長くなってしまったが ここもすっかり変わり果てて当然日雇いの人も集まらないし 静かな、でも活気も失われた下町となってしまった。
2024年06月22日09時19分