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1970年1月27日、ダスキンの創業者・鈴木清一が、ミスタードーナツ・オブ・アメリカ社との事業提携を決断し、ミスタードーナツが創業。1971年第1号店の箕面ショップがオープンしフランチャイズ加盟店第1号店となる。今はやりの外資系珈琲店より、こういう場所の方が落ち着きます。おかわりもOKだし・・・ 復刻盤ドーナツ販売開始までコーヒー一杯でまったり。 歩数4,473、距離3.14km、上った階数1回
W3 C&Dさんの「W3 COFFEE & DESIGN」へのコメ備忘録(※コメの後削除されてブロックされた。まともに取り合ってくれないのは真のコーヒー通ではないのかも) 神戸まつりといえばサンバ、サンバといえばブラジル、ブラジルといえばコーヒーという事で。 たくさんの人に親しまれているコーヒーが、2050年には飲めなくなってしまう可能性があることをご存知ですか?コーヒーの需要が増加する一方で、生産者の貧困による離農や私たちの活動によって引き起こされている気候変動による影響でコーヒーの生産量が減少することが危惧されています。 地球温暖化が進むと雨季と乾季の差が曖昧となり、2050年にはアラビカ種の栽培適地が現在の栽培地の50%程度になってしまうと言われているのです。 今後貧困による離農を防ぐ為にはフェアトレード認証とかレインフォレストアライアンス認証とか、手の届かないものになってしまう前に、私たち消費者もできることから始めてみませんか? スペシャルティコーヒーを選んだり、企業やブランドの取り組みを調べて生産者を支援する豆を購入したり、私たちができる一杯へのアクションで、コーヒーの未来に貢献できるはず。 チョコレートの原料「カカオ豆」もまったく同じことがいえます。 カカオ生産には、貧困、児童労働、森林伐採など、深刻な課題がつきまといます。 カカオの生産者は小規模な農家が多く、カカオ豆の買取価格も低く抑えられており、生産者はなかなか貧困から脱却できず、結果、子どもたちを学校に行かせることもできず、児童労働がなくならないという負のスパイラルから抜け出せない状況です。 最終的なカギを握るのは私たち消費者 現在、日本国内では、240以上の企業・団体が、フェアトレード認証に取り組んでいます。コーヒー、紅茶、チョコレートだけでなく、バナナ、スパイス類、ごま・ごま油、ジャム、蜂蜜、ワイン、バラ、衣類、タオル、コットン雑貨、サッカーボール・ラグビーボールなどのボール類に至るまで、フェアトレード認証製品の種類も、そして販路も広がっています。
2024年06月24日14時39分
HAMAHITOさんの「Chocolate Shop」にコメ備忘録 ご存知でしょうか。コーヒー豆産地と同じく、カカオが絶滅すると言われるその理由とは? カリフォルニア大学とアメリカの大手食品会社の共同研究によると、2050年までにカカオの木が絶滅する可能性があると言われています。一体なぜそのような危機に陥っているのでしょう。まずは、カカオが絶滅すると言われる理由について見ていきましょう。 〈地球温暖化による生産地へのダメージ〉 世界のカカオ豆のおよそ70%以上は、ガーナとコートジボワールで栽培されています。カカオの生育条件は非常に厳しく、平均気温27℃以上、湿度が70%~100%で降雨量が年間2000mm以上であることなど、限られた環境でしか栽培できません。 しかし、これらの産地では地球温暖化によって土地の乾燥が進み、カカオの生育が妨げられているのです。また、今後30年間で地球の温度は2℃上昇するという見通しが研究で明らかになっています。それはつまり、カカオの産地を壊滅に導く恐れがあるということ。 カカオを生産する場所が無くなり、結果としてチョコレートが食べられなくなると言われているのです。 〈病気と害虫によってカカオの木が生育不可能に〉 そもそもカカオの木はとても繊細で、特に病気に弱いという特徴があります。国際ココア機関は病気と害虫の影響でカカオの木が生育不可能になり、世界のカカオ生産の30~40%が失われたと報告しました。 ガーナやコートジボワールが位置する西アフリカでは、温暖化による洪水や干ばつ、暴風など自然災害の影響で、カカオの病気がさらに悪化したと言われています。 こうしてカカオの木が失われることで、カカオで生計を立てる数千万人の生活も脅かされているのです。 〈チョコレートの需要が高まり供給が追いつかない〉 カカオの栽培状況は厳しくなる一方、ここ数年でアジアのチョコレート需要が急増しています。カカオの生産量が減っているにもかかわらず、世界の消費量は増えているのです。 つまり需要と供給のバランスは既に崩れており、チョコレートの生産が世界の需要に応えられなくなる日も近いと言われています。 普段何気なく食べているチョコレートですが、このようにカカオの生産危機によって突然世界から消えてしまうかもしれません。 おいしいチョコレートとカカオを栽培する人々の暮らしを守り続けるために いつも私たちの身近にあるチョコレート。特にバレンタインデーには数々のチョコレート商品が売り場を埋め尽くしていますよね。そんな光景を見ていると、チョコレートが食べられなくなる日が来るとは想像がつかないかもしれません。 しかし、地球温暖化によって干ばつや洪水などの自然災害が増え、カカオの危機は現実になっています。ひとたびカカオが絶滅してしまえば、チョコレートが食べられなくなるだけでなく、カカオを栽培している人々は農場や仕事を失い、生活ができなくなるでしょう。 貧困問題にも大きく影響してくるカカオの絶滅危機問題。未来までずっとおいしいチョコレートが食べ続けられることに加え、カカオの栽培を支える人々の暮らしが豊かに続くように、今私たちにできることを一緒に考えてみませんか。 (https://mygreengrowers.com/blog/cacao-extinction/から) コーヒー豆の2050年問題と同じく、企業やブランドの取り組みを調べて生産者を支援する豆を購入したり、私たちができる一粒へのアクションで、カカオの未来に貢献できるはず。 環境問題に興味お持ち頂き良かったです。 嗜好品とされるコーヒーや紅茶にチョコレートいずれも生産地が偏った地域でしか栽培収穫出来ない点に注目頂けると、生産者保護の観点から消費する側が知る事が大切だと思うのです。環境問題以前に貧困に苦しむ生産者保護という面から見れば、最終価格がもう少し高くてもと思います。 遺伝子組み換え作物に切り替え以前に、耕作地の改善努力、設備投資に寄与出来る対策の方が先行させるべきとも思います。私見です。
2024年06月24日14時40分
run_photo 2024年06月22日17時03分 こんにちは。 いつかの投稿のアングル違いですね。 麻袋の質感が良くて、これからチョコレートになっていく過程を想像してしまいます。 既にコメントがあった通り、私もカリフォルニア大学にいたのでカカオについての 研究をしている方と話する機会がありました。その時に初めてこのカカオ問題について 知ったことを思い出します。 カカオは醗酵食品 「発酵」とは微生物を利用して食品を作ることです。 カカオにおける発酵は、その種の中に含まれる酵素の活性を誘導し、化学反応を引き起こすことで、チョコレートの香りのもとになる物質を生成し、苦味・渋みを和らげる効果があります。「発酵」は、カカオの持つ香りのポテンシャルを最大限に引き出すための、重要な工程なのです。 製品価値を決める適切な醗酵設備とか重要なのです。 焙煎して殻を取るとカカオ豆、砕いてグラインディングすればチョコ、砕いてヨーグルトなどにトッピングしても美味しいです。 剥いた殻は料理の上にパラパラと、湯煎してお茶のようにチョコの香りのする飲み物に。捨てるところがありません。
2024年06月24日14時44分
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阪急電鉄、能勢電鉄沿線は創業に関わるものが多い。 一つ目はミスタードーナツ 1970年1月27日、ダスキンの創業者・鈴木清一が、ミスタードーナツ・オブ・アメリカ社との事業提携を決断し、ミスタードーナツが創業。1971年第1号店の箕面ショップがオープンしフランチャイズ加盟店第1号店となる。 二つ目は能勢電鉄平野駅近くの「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」 約140年の歴史をもつ、三ツ矢サイダー。明治14年(1881年)、ウィリアム・ガウランドというイギリス化学者が、平野鉱泉を飲み物として「理想的な鉱泉」として認めたことで、炭酸水の製造をはじめ、明治17(1884)年に「平野水」として発売されたのがはじまりです。明治30(1897)年には、宮内省から東宮殿下(後の大正天皇)の御料品に指定され、明治40(1907)年には、サイダーフレーバーエッセンスを使用した「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売。その後1952年に、商品名は「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」となり、1968年には、シャンペンという名前をけずり、正式名称を「三ツ矢サイダー」に。いまでこそ、無色透明の「三ツ矢サイダー」ですが、最初のころは、黄色っぽい色だった。 三つ目は宝塚駅(JR福知山線生瀬駅が最寄り)近くの現在はマンションになっている場所にあったウィルキンソンタンサン宝塚採泉場 1889年ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏、兵庫県宝塚で炭酸鉱泉を発見。 1890年資材、設備一切を英国より取り寄せ、鉱泉の瓶詰を生産開始。 「TAKARADZUKA MINERAL WATER (宝塚ミネラルウォーター) 」を発売。 1904年ザ クリフォード ウヰルキンソン タンサン ミネラル ウォーター有限会社(本社は香港。日本支店は神戸市)を設立。 工場を現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬に移転し、「宝塚工場」として操業開始。 四つ目は箕面出身の初恋の味でお馴染みの「カルピス」の生みの親である三島海雲 生家(大阪府箕面市稲2丁目6-15)教学寺 酸乳を常的に摂取しているモンゴル民族のたくましさに驚き、自らも酸乳の健康への効果を体験し、その力を実感しました。 「醍醐素」を改良したおいしく体に良い飲み物として開発したのが、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」でした。海雲は、「カルピス」の本質は、“おいしいこと”、“滋養になること”、“安心感のあること”、“経済的であること”の4つだと言っています。1919(大正8)年7月7日の発売以降、「カルピス」は時代を経て、やがて“国民飲料”として愛される商品へと成長しました。 1923(大正12)年9月1日に関東地方を襲った関東大震災。焼け野原と化した東京で飲み水を求める人々に、海雲は、冷たい「カルピス」を配って歩きました。 財を投じて結成した“「カルピス」キャラバン隊”が手ずから配った一杯の「カルピス」は多くの人々に生きる力を与えました。
2024年06月23日10時11分