チ ャ ビ ィ
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築城の名手・藤堂高虎によって作られた、中世と近世の築城法を併用した平山城で、近世城郭の萌芽ともいうべき城郭機能が兼ね備えられています。 藤堂高虎は、天正13年の紀州攻めの際、北山入りし、文禄4年)、四国伊予三郡を与えられるまでの11年間、北山付近に在居しました。 この間、天正15年の北山一揆で一揆方を成敗したり、北山材の切り出しを行ったりしており、この頃に現在の城郭に整備したものと考えられるそうです。
ガッチャンさん こんにちは。 山城は山そのものが要害になっていることが多いようです。 要害堅固な城。 その中に石垣を築き守っていたのでしょうね。 ありがとうございます。
2024年06月17日11時29分
*kayo*さん おはようございます。 本当に景観が綺麗です。 まだ石垣が残っているので城址っぽいですけど。 山の中で静かな所でした。 ありがとうございます。
2024年06月18日07時41分
ガッチャン
それほど険しい山でなくとも創意工夫の石垣を作り 確かな城郭を築け上げたようですね。 兵法にも詳しかったのでしょうね。
2024年06月17日06時35分