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子供達の門出を祝う花

子供達の門出を祝う花

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    九州南部、南西諸島の海岸に自生している鉄砲百合。身近なお花です。妻の実家で撮影致しました。 調べて見ますとソメイヨシノが咲かない沖永良部島では、子供達の門出を祝うお花は真っ白なテッポウユリとしりました。テッポウユリは島人の心の花ですね。 沖永良部島 /しまのま(島の間) https://shimanoma.jp/archives/2681

    コメント7件

    いずっち

    いずっち

    祝福の歌声が聴こえてくるようです。 (最初祝砲が浮かびましたが、やはり音楽がいいなぁと思いました) ここも後継者不足なのですね。 生産者さんの「ユリは島の人の誇り。なくしたくはない」という熱い思いと 子ども達の力が結集し 世界記録更新は、きっと明るい未来に繋がっていくだろうと 思いました。

    2024年05月26日16時39分

    Zacky01

    Zacky01

    いづっち様, コメントをいただきありがとうございます。祝福の歌声が聴こえてくるとのお言葉がとても嬉しいです。 島には後継者不足、学校、職場、医療、色々な問題があります。3月に訪れた奄美大島でもそんなお話しをお聞かせいただきました。 私も子供達にとって、子供達みんなで植えたゆりの思い出は、きっと子供達の人生にとって大きなエネルギーになり、そしていつか島に帰る原動力になったものと思います。ましてやギネス世界記録を達成されたのですし。 私の母の実家も島にあり子供達は中学を卒業すると、町の高校や大学にいける人は島を離れます。私の従兄弟達もそうですし、母もそうでした。 2年前の写真ですが、母が91才の時に故郷の島を2人で訪れた時の写真です。母が通った小学校や母の小学生の頃からのお友達の家をまわりました。 母と仲が良かった尼さんは施設に入っておりコロナ対策で会う事ができず寂しそうでした。お元気にされている方とも何名か会う事ができ、小学生の頃に母の事を好きだったもいうお友達とも会う事ができました。 その方は夫婦共にお元気で、定年後10年程して人生の最後は生まれ故郷でと大阪から島に戻ってきたとの事でした。当時の思い出をとても楽しそうに話してくれました。なんでも母はとても美人で人気があったとの事。 故郷の海に何思う https://photohito.com/photo/10992902/

    2024年05月27日07時33分

    いずっち

    いずっち

    Zacky01さん、お母様の「故郷の海に何思う」拝見しました。 たぶん長くなると思うので、時間のある時読んで頂けたらと思います。 静かに海を眺めるお母様の背中。 人も光景も様変わりしていく中で、お母様の脳裡には 子どもの頃イキイキと過ごした思い出が リアルに走馬灯のように 巡っていた事と思います。 生まれ育った町を訪れ、大切なお友達と会い、お話ができて 本当に良かった。 この世代の方達にとって、コロナによる制限は 本当につらく厳しいものでしたね。 私の中学時代からの親友も ドアを隔てた向こうにいるのに、手を握ることも 言葉も届かない。 もどかしくてもどかしくて 出来る事ならドアをぶち破って思いっきり抱きしめたかった。 それから2週間後、亡くなりました。 お母様の世代は尚更の事。一日一日の積み重ねは 本当に大切です。 お母様の 寂しい思い、伝わってきます。 そんなお母様の気持ちを汲み取りながら 同行されたザッキーさん。なんてお優しい。 お母様は心から感謝されいてると思います。 私の母は 一昨年亡くなり、その5年前からは脳梗塞で 右半身麻痺 構音障害になりました。 脳梗塞で倒れるまでは 杖をつきながら 京都から 生まれ育った三重県津市まで 一ヶ月に一度は一人で行っていました。母は定年退職後、70歳から脳梗塞で倒れるまでエッセイ教室に通っていました。 私は父の介護と仕事子育てで忙しかったので、年に数回しか付き添う事ができず、もう駐車場になっている母の実家跡を見に行ったり、母の幼馴染に会いに行ってました。 私にとっても 思い出いっぱいの地、大好きだった祖母が暮らしていた証し、祖母の気配を感じたくて行ってました。江戸時代からびんつけ油を作っていた化粧問屋でした。 当時足の不自由だった母が 月に一度行っているのを知り、「こけたら大変やから、一人で行くのは控えたら」と話してましたが 頑なに訪れていた母でした。 亡くなる前の年、書きためてきたエッセイをエッセイ集にしたいと言い出し、自分で出版社の方と打ち合わせしていました。 そして翌年の三月 震える左手であとがきを書きあげ、呂律の回らない口で 一生懸命聞かせてくれました。「もう思い残すことはないわ」と笑顔で言って「縁起でもないことを」と二人で笑ってました。 6月にエッセイ本が出来上がり、8月に90歳の誕生日を迎え、10月に亡くなりました。 それから年の暮れ、ようやく一息ついて、初めてエッセイ集を開きました。 そこには 津市での子供の頃の思い出、京都での学生時代、現在までの事が書かれていました。 特に町全てが一斉攻撃により焼野原になった戦争体験の話が多く書かれていました。 母の友だちの手記もたくさん載っていました。 あぁ、母は月に一度津市を訪れては お友達と打ち合わせに行ったり、市役所や図書館で 戦争被害の客観的事実と自分達の体験を照らし合わせに行ってたんだと、その時初めてわかりました。 そして「この本は私の子ども達、孫、次の世代へと引き継がれていってほしい。 二度と こんな思い経験を繰り返してほしくない。」と書かれていました。 きっとザッキーさんのお母様も私達には想像もできない大変な思い経験をされていたことでしょう。 そんな経験を経て、ハンドバックを手作りし、プレゼントをされる お優しいお母さま。 私達親の世代は 本当に芯のところが強い。生死を彷徨う経験を経て、今の姿がある。 心から尊敬します。 昨年の夏は あじわい倶楽部で母の体験記、お友達の体験記を朗読させてもらいました。 今年は 沖縄の友人から 体験記が届いたので、これを朗読させて頂こうと思っています。 今私に何ができるだろう。 微力ですが、少しでも平和の芽が広がって、当たり前の日常が 実はとてもかけがえのないものということを 朗読という形で 発信していければと思っています。 すっかり長くなってしまいましたね。 改めてこのテッポウユリを眺めて、長年苦労して継承してきた島の方達の想い、パワー、 そして今の子ども達のパワーがこもっているように思いました。 美しく 逞しい花です。

    2024年05月28日12時42分

    Zacky01

    Zacky01

    いずっち様, おはようございます。読んで頂き、お返事までくださりありがとうございます。歳を重ねる程に如何に一日一日を過ごすかの大切さを改めて気付かさせてくださりありがとうございます。 コロナでお亡くなりになられた親友のお話しをお聞かせいただき胸に熱いものを感じました。私の同僚の同級生で神戸で女教師をされていたお友達も同じようにコロナ感染1週間程で自宅でひとり他界致しました。同僚から聞く悲しさと悔しさ、、 またいずっちさんのお母様は、右半身麻痺 構音障害の中、書きためたエッセイを本にしたいとの想いを胸に出版社の方と打ち合わせしエッセイを出版されたエピソードに感動致しました。「震える左手であとがきを書きあげ、呂律の回らない口で 一生懸命聞かせてくれました」のところは涙しかありません。おそらく右利きであったと想像したおり情景を想像するだけで壮絶な執筆活動であった事を感じました。またお母様と津を訪ねた時のいずっちさんの想いに共感致しました。 私の母は6人兄弟の長女で、年齢も上から2番目。親戚の中でも女性では年齢が一番上で子供時代より歳の離れた弟や妹、そして姪達を背中におぶって遊んでいたと聞いています。ご飯は竈門で炊いており、お風呂も薪の五右衛門風呂。水汲みや川での洗濯など家事に追われる毎日。そんな中で学校に通う時間は本当に幸せな時間であったと想像しています。 当時の田舎では珍しく女学校まで進学させてくれた祖父母に母はとても感謝しておりました。後に大型貨物船の機関士の免許をとり女性ながら家業の貨物船の機関長を勤めた時代もありました。私が若い頃、NYのロングアイランドに住むアメリカ国籍のおばさんを訪ねた時、母に育ててもらった子供時代の思い出を聞かせて頂いた事を思い出しました。 そろそろ外出致しますので、続きは後ほど。 続く

    2024年05月29日07時38分

    Zacky01

    Zacky01

    いずっち様, おはようございます。 > 今私に何ができるだろう。 >微力ですが、少しでも平和の芽が広がって、 >当たり前の日常が 実はとてもかけがえのない >ものということを 朗読という形で 発信 どうしてもこちらのお言葉に返信がしたいと いう気持ちがあり、昨日の続きを書かせて 頂いております。 日頃から「今の私に何ができるのだろう」と 自分に問いかけている中でこのお言葉に出会 いました。いずっちさんは本当に素敵なお方 ですね。 朗読の力を私も信じています。きっと書き手 の想い、読み手の想いが誰かに伝わり、そし て誰かから誰かにつながり、やがて地球を 一周し、老若男女、人類が愛に満たされて いくといいですね。

    2024年05月30日07時09分

    いずっち

    いずっち

    お忙しい中で 心のこもったお返事ありがとうございます。 お母様、貨物船の機関長をされていたのですね。 子どもの頃から 幼い弟達の世話をされながら家事もこなしておられた。 今はボタン一つでお風呂も沸くし、ご飯も炊ける。 当時は 何をするのも手間がかかり、さぞかし大変だったろうと想像しますが、 私の母も長女で、当時の話をする時、楽しそうに語っていました。 お母様もそうですね。 優しさと真の逞しさ。感謝の気持ちを持ち続けておられる すばらしいお母様です。 コツコツと続けている朗読。いつもマイクの向こうで聴いて下さってる方達を思って 拙い語りですが、お話しさせて頂いています。 時にはへこたれそうになる時もありますが、素直に感動出来てる間は大丈夫!とそれが バロメーターになっています。 「朗読の力を私も信じています」力強い言葉頂いて、感謝です。 またパワーを頂きました!

    2024年05月30日10時17分

    Zacky01

    Zacky01

    いずっち様, おはようございます。そして母の事を褒めて頂き嬉しいです。いずっちさんのお母様と私の母は似ているところがあるのかも知れないと思ったりしております。 > コツコツと続けている朗読。いつもマイクの向こうで聴いて下さってる方達を思って > へこたれそうになる時もありますが、素直に感動出来てる間は大丈夫! 目の前に情景が広がりました。あじわいのあるお言葉より心が伝わってきて共感しております。私も感動のパラメーターを大切にしたいと思います。 先程、優しい目という写真をアップ致しました。母子の愛は素晴らしいですね♪

    2024年05月31日22時13分

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