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2024GW 松江城築城者 堀尾吉晴@松江市

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    松江城の正面玄関にある大手前駐車場の傍らに天守を見上げる像が建っていました。 像には「堀尾吉晴公」と書いてあります…どこかで聞いたことがある名…です… Wikipediaで松江城を調べると、築城主は出雲国松江藩初代藩主堀尾忠氏と書いてあり、堀尾吉晴は忠氏の父で藩主ではないですね… が、いろいろ調べると 松江城築城者はこの堀尾吉晴と出てくるんです… 歴史音痴な私としても俄然興味が湧いてきました…どこかで聞いたことのある名前ですし、そして藩主の父が築城?… コメント欄につづきます…

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    堀尾吉晴という人物、1543年に尾張国で守護代・岩倉織田氏に仕える土豪の家に生まれたそうです。 岩倉織田氏はその後織田信長に滅ぼされ、堀尾吉晴はその後、尾張国を統一した織田信長に仕え、間もなくその家臣木下秀吉(後の豊臣秀吉)に仕えます。 ここから秀吉配下で様々な戦いで武功を上げ、秀吉の信頼とともに「仏の茂助」と言われて功績が賞され遠江国浜松城主12万石にもなっています。 1598年の秀吉死後、堀尾吉晴は徳川家康に接近し、豊臣政権末期の三中老として反家康派との調整や仲立ちを行っていますが、この頃の話がσ(^_^)の薄い記憶に残っていたようです。 関ヶ原の戦いの前年、年齢を理由に次男・忠氏に家督を譲って隠居し、1600年の関ヶ原の戦いには徳川家康から従軍は忠氏だけで良いといわれ、家康から隠居料として与えられた越前府中に帰国したそうです。 関ケ原本戦に参加できなかった吉晴でしたが、越前から北近江・北陸地域の情報を東軍に連絡し貢献。 息子の忠氏も戦で武功を立て、その成果を評され出雲24万石に加増されました。 当時の本拠は安来の山奥にあった月山富田城だったそうですが、近世城郭および城下町形成のため本拠を松江に移すことにしました。 しかし、1604年、忠氏は急逝。 嫡孫の忠晴はまだ幼く、やむなく吉晴は悲しみを抑え松江城の築城を行い、1611年、現在に国宝として残る松江城が完成しました。 しかし、その落成を見届け、数か月後に吉晴はこの世を去ったということです。 享年69歳。 信長、秀吉、家康という名だたる名将に仕え、戦国の世を渡ってきた凄い人物がこの素晴らしい松江城を後世に残したのですね! しかし、無情なもので、彼の死後孫の忠晴が政務を執りますが、寛永10年に死去。嗣子なく、大名としての堀尾氏はここに断絶・改易となったそうです…無念…

    2024年05月21日05時41分

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