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石畳の多い道を快適に走る為に猫のようにショックを吸収する足回りで有名な「猫足スポーツカー」フィアットアバルトの歴代モデル。カンパニョーロ製のアバルトホイールなど、機能と美しさを両立したデザイン今のフィアットアバルトとは似ても似つかぬスタイルでした。ココは有馬の向陽閣駐車場。なにわのモーツァルト「キダ・タロー」さんが93才で亡くなられました。有馬兵衛の向陽閣へのテーマ曲が甦ります。コダックエクタクロームEPR 昨日のお出かけによる筋肉痛が出てきました。
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ニコンF2の登場は1971年。Fの後継機として登場。1980年に登場するF3は電子シャッターが採用されたから、フラッグシップ機2代めとして最後のフルメカニカルシャッター搭載カメラになる。基本ボディはCdsを受光素子としたTTLメーターを内蔵したフォトミックファインダー(DP-1)を装着した「F2フォトミック」である。これはカラー時代を意識したからだろう。 Fからの大きな改良点はシャッターボタンの位置がボディ前に置かれたこと、電池室がボディ側にあること、裏蓋が蝶番式になったこと、2000分の1秒の高速シャッター採用、モータードライブの無調整装着可能など多数あるが、Fと比較して機能的に大きな進展はあったとは言い難い。けれどシャッターは15万回という耐久力を誇り、プロ用カメラとして絶対的な位置にあった。視野率は約100パーセント。なおファインダー表示をLEDとしたフォトミックSファインダー(DP-2)を装着したF2フォトミックSは1973年に発売されている。 1977年にニコンはレンズの開放F値設定を自動化した「Ai方式」を採用。F2はボディには一切手を加えずファインダーを改良してフォトミックA(DP-11)とフォトミックASファインダー(DP-12)を発売してAi化に対応した。当時のAi方式の広告は「ニコンを変えずにニコンを変えた」とコピーが打たれたが、これは旧ニッコールレンズも改造を施すことで、Ai方式に対応することができたからだろう。ことF2に限っては、ボディにもこのコピーが当てはまることになるわけだ。 カメラの発展は自動化と同義であり、F2が登場した当時は露出の自動化(AE)をいかに実現するかがメーカー共通の目標だったように思う。 フルメカニカルカメラであるF2とAEはそぐわないと思うのだけれど、F2フォトミックSとSBにはEEコントロールユニットDS-1とDS-2が、フォトミックASにはDS-12が用意されサーボモーターコントロールによるシャッター速度優先AEを可能とした。 もっともAEといえど、設定した任意のシャッター速度に対してモーターのチカラを使って適正露出値まで絞り環を回してしまえというシロモノなのである。言い換えれば指で絞り環を回すかわりにモーター動力を使用したのだ。おそらく無人撮影などに使用されたのではないかと推測される。 写真のF2フォトミックASとEEコントロールユニットDS-12は発展型ではあるものの動作は同じ。ただし、フォトミックSファインダーの受光素子は応答速度の遅いCdsだったのに対して、ASではSPDとなり、応答速度は飛躍的に向上した。
2024年06月16日01時53分