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「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」三矢サイダーの碑と、通過する2022年12月16日ラストランした還暦(60歳)を過ぎた元阪急2000系、能勢電鉄1754Fは唯一のATS未更新車で車齢60年と稀にみる超長寿電車として引退した1754編成。最後は引退記念ヘッドマーク「惜別」を掲示して終えた。
アサヒ飲料ゆかりの地「阪急能勢ミッションラリー」 三矢サイダー140周年とウィルキンソン120周年を記念して2024年3月28日から7月15日まで開催。 一つ目はこの能勢電鉄平野駅近くの「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」 約140年の歴史をもつ、三ツ矢サイダー。明治14年(1881年)、ウィリアム・ガウランドというイギリス化学者が、平野鉱泉を飲み物として「理想的な鉱泉」として認めたことで、炭酸水の製造をはじめ、明治17(1884)年に「平野水」として発売されたのがはじまりです。明治30(1897)年には、宮内省から東宮殿下(後の大正天皇)の御料品に指定され、明治40(1907)年には、サイダーフレーバーエッセンスを使用した「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売。その後1952年に、商品名は「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」となり、1968年には、シャンペンという名前をけずり、正式名称を「三ツ矢サイダー」に。いまでこそ、無色透明の「三ツ矢サイダー」ですが、最初のころは、黄色っぽい色だった。 二つ目は宝塚駅(JR福知山線生瀬駅が最寄り)近くの現在はマンションになっている場所にあったウィルキンソンタンサン宝塚採泉場 1889年ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏、兵庫県宝塚で炭酸鉱泉を発見。 1890年資材、設備一切を英国より取り寄せ、鉱泉の瓶詰を生産開始。 「TAKARADZUKA MINERAL WATER (宝塚ミネラルウォーター) 」を発売。 1904年ザ クリフォード ウヰルキンソン タンサン ミネラル ウォーター有限会社(本社は香港。日本支店は神戸市)を設立。 工場を現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬に移転し、「宝塚工場」として操業開始。 三つ目は箕面出身の初恋の味でお馴染みの「カルピス」の生みの親である三島海雲 生家(大阪府箕面市稲2丁目6-15)教学寺 酸乳を常的に摂取しているモンゴル民族のたくましさに驚き、自らも酸乳の健康への効果を体験し、その力を実感しました。 「醍醐素」を改良したおいしく体に良い飲み物として開発したのが、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」でした。海雲は、「カルピス」の本質は、“おいしいこと”、“滋養になること”、“安心感のあること”、“経済的であること”の4つだと言っています。1919(大正8)年7月7日の発売以降、「カルピス」は時代を経て、やがて“国民飲料”として愛される商品へと成長しました。 1923(大正12)年9月1日に関東地方を襲った関東大震災。焼け野原と化した東京で飲み水を求める人々に、海雲は、冷たい「カルピス」を配って歩きました。 財を投じて結成した“「カルピス」キャラバン隊”が手ずから配った一杯の「カルピス」は多くの人々に生きる力を与えました。
2024年06月23日10時12分
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以前あげていた「能勢電鉄の車窓から」のコメ備忘録 平野~一の鳥居間にある三矢サイダー採水所跡。塩川から湧き出る鉱泉は平野水として販売され、のちに香料と甘味料を加えた「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」として売り出された。今もぷくぷくと炭酸が湧き出す光景が見れます。撮影は左のホームセンター屋上駐車場からがオススメです。古い画像ですが、引退した1754系と写ってるのが見つかりましたので、自宅に戻れたらUPします。
2024年05月14日15時17分