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いつもご覧いただきありがとうございます。 東日本大震災では壊滅的な打撃を受けた県南の山元町に行ってきました。 復興の起点となり地元の産業を推し進める基盤ともなっている山元町農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」は今月9日で5周年を迎えます。 豊富な種類のイチゴと魚介類の販売で賑わっていました。 山元町に入るとR6には津波の到達点の標識が建っています。
津波は怖いですね。日本列島は凄い処に位置しているのですね。引っ越せませんから此の大地で恵みを得て日本人は生きて行くのみ。台風は海を掻き交ぜ水産資源を豊かにして呉れ国土に水を潤し降雪も害も有れば恵みも有り環太平洋火山帯とて温泉の恵も施して呉れますね。中東の砂漠の国の大使が毎年台風が来る日本を知って自分の国にも台風が一つ来てくれたら良いとコメントしたそうです。能登の皆様に安寧の日々が早く来ることを祈ります。
2024年02月09日00時06分
おはようございます。 色々思い出しますね。。 職場(浦安)も地盤沈下でなかなかの打撃を受け、今でもところどころ直せない所がありますね。 あの時は本当に怖かったです。
2024年02月09日09時38分
こんにちは。 あの高さまで津波が来たのですか、恐ろしいですね。 復興途中とはいえ確実に復興は進んでいますね。 能登も一日でも早い復興を願うばかりです。
2024年02月09日10時46分
私が住んでる和歌山県は、県の半分以上が海岸線です。 南海地震も確実に来ると言われています。 気持ちだけでも、覚悟しておく必要があります。 あの震災から立ち直りつつある東北の復興が、 今後の避けられない地震災害に対する希望となっていると思います。
2024年02月09日11時41分
こういう形で過去の津波到達点を 残すのはいいですね(^^) これ見るとみんな記憶を呼び起こすのでは…… 歴史をこれからの地震、津波などの 自然災害に活かしていきたいですね。
2024年02月09日19時10分
こんばんは! あの日のあの時間を今でも思い出します。 乗っていた地下鉄が急停車し、まるで大きな船が揺れるように長い時間揺れていました。 都内は帰宅難民の列が一晩中続き、道筋の家々はトイレを開放したり、食べるものを差しだしたり、助け合いました。 その時に、津波がこんな高さまで襲ってきていたのですね。 あれから長い年月が過ぎました。 復興は進んでいるのですね。 能登の方々も必ず復興すると、希望を捨てずにいてほしいと願います。
2024年02月09日19時21分
こんばんは run_photoさん。 嬉しいコメント戴きありがとうございます。 写真は国道6号線で町にあった建物だと床上2mまで水深があったようです。 この場所は必死の復興作業もあって今ではあまり道路を走っていても津波のあった形跡は見られなくなりました。 今回の能登の地震の被害も大変でしたので時間がかかるかも知れませんがなるべく早い復興を願っています。
2024年02月09日20時10分
こんばんは Binshowさん。 嬉しいコメント戴きありがとうございます。 自然はこのように怖さと恵みをもたらしてくれるので紙一重なんですよね。 確かに台風は大きな被害も出しますがどこかではそれを必要に思っているところもあるのですね。 今回は原発事故が無くて本当に良かったと思います。 能登の方々の心から笑える日が早く来ることを願っています。
2024年02月09日20時16分
こんばんは sazanka83さん。 嬉しいコメント戴きありがとうございます。 日本はどこにいても地震から逃れることはできないのでしょうね。 生活の基盤も失う人も多く早い復興が望まれますね。
2024年02月09日20時21分
こんばんは kei2021さん。 コメント戴きありがとうございます。 この国道6号線にもですが志津川や歌津など三陸を走る道路にも同じような津波の到達点の標識があって海面からはかなり離れて高さもある場所にもあって驚きます。 いざという時のために避難する場所の選定や意識づけに役立つと思います。
2024年02月09日20時26分
こんばんは ゆきのひさん。 コメント戴きありがとうございます。 あの日は地震があって職場から自宅へ来るまで戻りましたが普通1時間未満で到着するのですが3時過ぎに出て11時半ごろの到着でした。 信号機も消えていて真っ暗な中段差があちこちにあって常に揺れ続ける中を必死に返ってきました。 家の前の道路は今でも道路で段差があるままです。
2024年02月09日20時31分
こんばんは fusionzMさん。 コメント戴きありがとうございます。 国道6号線の坂になっているところですがここまで津波が来たようです。 この町は海岸沿いの6行政区の全域および丘通り4行政区に一部(2,494世帯、7,543人の区域)が津波により水没して大変な場所でした。 今は元気を取り戻してきていますが能登も早く復興できると良いですね。
2024年02月09日20時35分
こんばんは エミリーさん。 コメント戴きありがとうございます。 そういえばエミリーさんは和歌山県の在住でしたね。 海岸線が長いので津波の心配は大きいでしょうね。 先日の地震は心配されたでしょう? 私もすごく心配になりましたが大きな被害が無くて良かったです。 東日本大震災での教訓を生かしてどこにいてもすぐ避難できる体制を作ることが大切だと思います。
2024年02月09日20時44分
こんにちは いかなごさん。 コメント戴きありがとうございます。 災害は忘れたころにやってくる....と言いますよね。 地震の予知も難しいようなので、こうして目に訴えて常に行動を起こせる気持ちでいることが大事になるのでしょうね。
2024年02月09日20時47分
こんばんは cotocottonさん。 コメント戴きありがとうございます。 あの日は1時間以内で到着する道を8時間半かけて家に着きました。 勿論街も家も真っ暗で家のチャイムを鳴らしたらおびえ切った妻の顔が出てきました。 その時ほっとしたのを覚えています。 電気もなく海岸の方面の津波などの情報はその中にいると判らないのだとその時思いました。 ラジオを聴くようになったのはそれからです。 ここも復興は進んでいます。 能登の方々に早く笑顔が戻ってくることを願っています。
2024年02月09日20時56分
run_photo
こんばんは。 この写真を見る限りでは復興しているように見えますが、 まだまだ元通りとは言えないんでしょうね。 「復興する」という人の力は凄いですね。 私も神戸の震災被災経験者として、 能登地震も含め一日も早い復興を祈るばかりです。
2024年02月09日00時06分