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こちら関ケ原の壬申の乱事件現場です。 672年、天智天皇の子 大友皇子(24)と、叔父である大海人皇子(年齢不詳)が、この川を挟み大乱闘殺傷事件がありました。大友皇子はその後自害したものとみられます。 ふたりは皇位継承を巡り激しく対立しており、関係者の話では、大海人皇子とその兄天智天皇との間に確執があり、更に、天智天皇が進めた大化の改新に豪族などが反発していたこともあり、警察で詳しく事情を調べています。 関ヶ原は、関ヶ原の戦い以外に、既にその千年前に天下分け目の舞台となっていました。