リストリン
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日比谷公園 首かけイチョウ 元は日比谷交差点付近にあって、1901年日比谷通りの拡幅工事で 伐採されようとしていた。それを救ったのが日比谷公園の設計者 本多静六。自分の進退(首をかけて)をかけて強く主張し現在の地に 移植させた。 2度目の危機は、1971年の沖縄返還協定反対デモで過激派の投げた 火炎瓶が松本楼を焼失、そのあおりで黒焦げになった。 しかし翌年春無事に新芽を吹き黄泉がえり現在に至る。