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賑わう境内@岡崎・大樹寺

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    大型観光バスが来て賑わう大樹寺です(^_^) 三門側から正面に本堂、右手に鐘楼が見えます。 この大樹寺は家康の祖先安城松平家初代親忠が天文4年(1535年)に創建し、同家の菩提寺にしたのが最初と言われています。 その親忠の子長親の代に安城家が松平総領家となったことにより、本寺がは松平宗家菩提寺になったそうです。 ちなみに親忠(松平宗家4代)は松平氏・徳川氏も発祥の地松平郷から先代3代をこの大樹寺に分骨したそうで、8代の広忠(家康の父)までのお墓が松平八代墓として残っています。

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    なお、大樹寺のHPにはお寺の草創として以下のように書かれています。 https://daijuji.jp/precincts/ 応仁元年(1467)8月23日、尾張品野、三河伊保の軍勢多数が井田野に攻め寄せた。 親忠は5百余騎で伊賀村の東いらご縄手で迎え撃ち、一夜と半日の戦いでこれを撃破、細川、大沢まで追撃して潰走させた。 このときの戦死者を葬った塚を首塚とも千人塚とも呼んだが、その後9年を経た文明7年になって、戦死者達の亡霊が騒ぎ出し、塚がしきりに鳴動してときの声がたえることなく、近辺に悪病が流行することになった。 この亡霊を弔うために親忠は塚のほとりに念仏堂を建て、碧海郡宇祢部郷福林寺の住職勢譽愚底を招いて7日間の別時念仏を修し、その功力で亡霊を鎮めた。 この念仏堂は後の鴨田西光寺で、その後親忠は菩提寺として大樹寺を建立し、勢譽を開山とした。 もつとも、この寺伝には異説が多い。大樹寺そのものが亡霊を鎮めるためのものと言い、あるいは鎌倉時代以来大寿寺と言う浄土宗の草庵があったという説もある。 とあります。 ちなみに、徳川家康は松平宗家でいうと9代目になり、後ほど紹介する松平八代墓に並んで昭和44年には岡崎市民が家康公の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立しそうです。

    2023年09月19日05時29分

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