Zacky01
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昭和のスーパーカー。 数々の世界のレースで活躍したZ-Car(ズィー・カー) 当時好きな車は日産ばかりでした。日産系列、プリンス自動車系列、それぞれの良さを生かして、再び世界のDATSUNへ!
yoshi.s様, 懐かしんで頂くきっかけになり良かったです。yoshi.sさんは激動の時代を生き抜かれたのですね。追浜から本牧までのワクワクするアルバイトですね。一台づつ運んでいたとは驚きです。米国渡航資金を貯める為に、一足先に米国に渡航する車達を運ぶなんて、米国に夢をはせながら楽しく働いておられたと想像しております。 この写真の車はまさに左ハンドル、ダブルバンパーのUS仕様の240Zを逆輸入したもので、オーナーさんは新車からずっと乗っておられるとの事でした。もしかしたらyoshi.sが本牧へ運んだ車かも知れませんね^^240Zを自らドライブするなんてどれほど心が高揚感した事かと思い浮かべております。 実はここだけのお話しですが私yoshi.sさんが執筆された本の読者でございまして、まさか車好きでダブルクラッチを使いこなされているとは想像もしませんでした。ヒール&トゥとダブルクラッチを完全にマスターするとタイトコーナーで一速まで落とせますのでドライビングの幅が広がりますね!アクセルターンもFR車には必須のテクニックですね。 楽しい会話をありがとうございました。
2023年08月10日13時34分
yoshi.s様, michyさんの娘さんがもかしたらこのお方ではとおっしゃっていたとお伺いした際に、こっそり数年前に本を購入致しました。本を読みましてyoshi.sさんで間違いないと確信しておりました次第です^^ 距離が近くなったとのお言葉に嬉しくなっております。
2023年08月10日15時52分
yoshi.s
懐かしいなあ、240Z。 学生時代の終わり頃、横浜で陸送のアルバイトをしていました。 学生紛争の頃で、授業はほとんどなかったのです。部活動も引退し、暇になった時期です。 就職活動もせず、海外に出るための資金を稼いでいたのです。 陸送の仕事は、横須賀の日産追浜工場から横浜本牧D突堤まで、アメリカ輸出用の新車を運ぶ仕事です。 5−6人チームでマイクロバスに乗って追浜工場に行き、そこで輸出用に駐車してある車に仮ナンバーを付け、一人一台を運転して本牧D突堤に行くのです。 市道、県道を通っていくのですから、通行車の少ない夜中から明け方までの仕事です。一夜に50台ほどを運びます。 車種はトラックから乗用車までいくつもありましたが、240Zの時は、ときめきましたねえ。日本では240はまだ販売されていない時期でしたから、日本でこれに乗れるのは我々だけでした。 初めの頃はインストラクターが同乗して指導をしてくれました。 ダブルクラッチからヒール&トウ、アクセルターンなどのテクニックを覚えたのもこの時です。 ここで磨いた運転技術が、ずっと後になって自分の命を救うことになるとは思ってもいませんでした。 ごめんなさい、私ごとを並べて。DATSUN 240Zに刺激されました。
2023年08月10日12時39分