ショウワキ
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国指定重要文化財「一条恵観山荘」(いちじょう えかん さんそう) 昭和34年、鎌倉の地に移築。 庭石や枯山水も建物と共に移され当時と同じように配置されました。 その後、昭和39年には国の重要文化財に指定。 建物公開 ガイド付き有料説明会が開催されて参加できたので撮影したものを投稿します。一脚・三脚・ストロボなどは禁止です。 ガイドさんは高齢の女性でした。時間は約1時間でした。
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【一条恵観山荘(いちじょう- えかん- さんそう】 江戸時代初期の寛永年間から正保年間 にかけて、皇族の一条恵観の別邸として 京都西加茂に創建された茶屋である。 戦後、鎌倉へと移築され、国指定の重要文化財となった。江戸初期の朝廷文化を今に伝えるたてものとして、京都の【桂離宮】に並ぶ貴重な遺構である。 その外観は田舎風であるが、茅葺き屋根の内側には葦の屋根が葦かれ、自然の形を活かした建材の数々と細工のなされた建具、モダンに描かれた杉戸絵など、皇族の雅で自然を 愛する趣向が随所に盛り込まれており、風雅な好みを感じさせる。 庭の枯山水・飛び石も合わせて移築されており一部は茶人の金森宗和の好みと伝わる。 【一条恵観(いちじょう--えかん】 慶長10年(1605年)-寛文12年(1672年) 江戸時代初期の皇郷。御陽成天皇の第9皇子。五摂家の一つ一条家の養子となる。 名は兼遐(かねとお)と称し、のちに昭良(あきよし)と改める 摂政・関白を2度ずつ務め、兄である後水尾上皇を支えた。 後年、落飾して智徳院恵観(ちとくいん-えかん)となる。 和歌を始め、書や茶の湯に長け、能楽や絵画、立花、香など数々の文化芸能に精通し、 建築の知識二も優れており、自ら山荘の造作について全て指示をしたという。 茶の湯については金森宗和に学び、山荘と庭園造営に際して助言を得ていた。
2023年07月29日18時02分