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ご覧いただき、ありがとうございます いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し 後鳥羽上皇の第三子である順徳上皇は、北条義時を討つため、 父と一緒に承久の乱を起こしたがあえなく失敗、佐渡へ流された (父の後鳥羽上皇は隠岐へ流された) 上の句は佐渡で都と父を思って詠んだもの ただし、都忘れは江戸時代に生まれた園芸種 この句は原種のミヤマヨメナを見て詠まれたとの説があります が、花期が異なる秋に詠まれたとの説もあり定かではありません 写真は園芸種のミヤコワスレ
野良なお さん、こんにちは^^ 木々のすき間から漏れる柔らかい光を 受けた花を選んで撮りました 主役も背景も美しいとお褒めいただき、 とても嬉しいです♪ いつもご訪問とお気に入り、ありがとうございます
2023年04月23日17時01分
ほ た る さん、こんばんは^^ お褒めいただき、嬉しいです♪ 花が好きで時間をかけて撮っております ほ た る さんも、生命力溢れる花を美しく表現されておられ、 いつも楽しみに拝見しております
2023年04月23日22時34分
KARLさん、おはようございます^^ お褒めいただき、嬉しいです♪ また、説明文までお読みいただき、ありがとうございます 義時の死後、1年余りの間に、のえ、政子が相次いで亡くなりました のえが義時の死の2ケ月後に、政子によって伊豆に幽閉されたことは、 事実として知られています が、死期については、幽閉の半年後とする説が有力ですが、 3年後も健在だったとする説等、諸説あるようです
2023年04月24日08時26分
LOVE J&Pさん、 こちらにもお越しいただき、ありがとうございます♪ 柔らかい木漏れ日を受けた都忘れの優しい雰囲気が 印象的でした 背景のボケ色もお褒めいただき、嬉しいです♪
2023年04月30日23時52分
野良なお
美しいですねえ。 背景の優しさがこれまた美しい。
2023年04月23日14時42分