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佐世保といえば、呉、舞鶴、横須賀と同様に鎮守府(ちんじゅふ)とされた街。明治時代に西欧列強に立ち向かうために海防力を備える必要があったことから置かれたわけです。勝富遊郭の歴史は1907(明治40)年に遡ります。この年より前には、佐世保には小佐世保遊郭が存在していたものの、佐世保市は1907(明治40)年3月に市街地中心部に調整を実施することになり、小佐世保遊郭という呼称も年数が経つにつれて「勝富遊郭」と呼ばれるようになって行きます。 ↓コメント一覧に続きを記載します。
khwfさん お久しぶりです。 昔みたいに、遊郭、風情が残るところは、ほとんど無くなりましたね。 賛否両論あると思いますが、私は、まだ残してもらいたかった感はあります。コメントありがとうございます。
2023年04月03日18時33分
こんな所・建物が今も残っている? 驚きです。 歴史として保存するのは財源的に難しいいと思うので、クジラとか飛び魚とか牡蠣とか干したエイとか佐世保の料理の店として利用するのはどうでしょう? 関係者に怒られるかもですが・・・
2023年04月06日14時15分
ET1361さん お久しぶりです^_^ 建物、今も残っています。恐らく倉庫か何かに利用してるのではないでしょうか?しかし、今の現在を考えると昔の方が良かったのかも。自分的には、なんとなく、そう思います。
2023年04月06日17時15分
MONØEYESさん おはようございます(^○^) PEN Fお持ちでしたか!私も大好きなカメラです。17mm(フルサイズ換算34mm)言わば標準レンズですが、なかなか使いこなすのは難しいと言われる方、多いですよね!確かに私も最初はそうでした。しかし企業様のホームページ用の依頼を受ける様になってからは35mm前後のレンズは必需品になってきましたね。今は15-35はほぼメインです。撮るものがある程度決まっていれば慣れてくるんだと自分なりに解釈しています(^○^) コメントありがとうございます。 ※パナライカ、私も好きで何本かあります(^○^)
2023年05月09日06時11分
カメパパ
続き 小佐世保遊廓から勝富遊郭は名称が変わったということなので、場所という観点から言えばもっと昔からになりますけども・・。花街の芸妓や遊郭の娼妓が納める賦金(営業税)は、長崎県財政の一割ほどになっていました。明治から大正、昭和にかけては佐世保軍港建設によって巨額の費用が投じられたことにも関係しており、これを遊郭で働く女性達が一部賄っていたわけです。
2023年03月31日20時44分