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いや~送迎バスはまさに市内観光バスです♪ 次に車窓から見えたのは…先の「新市庁舎Nová radnice」でも紹介した「新市街市庁舎Novoměstská radnice」です。 この「新市街市庁舎」は新市街とともに14世紀後半のカレル4世の時代にできていたそうです。 ここで…実はチェコ史上重要な出来事が起きており、現在も多くの観光客が訪れているそうです… コメント欄に続く…
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チェコ史上重要な出来事とは… 1419年に起きた第一次窓外放擲事件です… “窓外放擲事件”とは人を窓から投げ落として殺害するという事件なのですが、この事件には前兆の不穏な動きがありました。 先に旧市街公園の中央にある像で紹介した宗教改革者ヤン・フスが1415年に火刑に処された後、プラハの人々は神聖ローマ皇帝やドイツ人に対して怒りを高めてきていきます… そして、ついに憤ったフス派の人々が市庁舎からドイツ人市長らを投げ落として殺害するのです… このことから、フス戦争(1419~1436)が始まったのでした… 実はこのような重要人物を建物の窓から投げ落とすという事件はプラハでその後も数回起こっており、その都度大きな出来事が起こっているのです。 1618年には第二次窓外放擲事件がプラハ城で起きています。 カトリックの王が即位し、そのプロテスタント迫害に怒った民衆がプラハ城を襲い、王の使者である国王顧問官2名と書記の3名を城の三階の窓から地面に投げ落したのです。 これも三十年戦争の発端となったそうです。 そして…第三次窓外放擲事件というのも起きています… 1948年、チェコスロバキアの外相であったヤン・マサリクが、外務省の中庭、浴室の窓の下でパジャマ姿の転落死体となって発見されました。 公式発表では自殺とされたそうですが、当時誕生したばかりの共産主義政権(当人がその政権の外相です)か、ソビエト連邦のNKGBに殺害された説も根強いそうなんです。 ヤン・マサリクの死後、チェコスロバキアは完全に社会主義国化され、1968年のプラハの春を除く41年間にわたりソ連の完全衛星国となったのでした。 2004年にプラハ警察が公開した調査結果ではマサリクが窓から突き落とされて殺害されたとの結論を出したそうです。
2023年03月27日07時44分