NEBUKO
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江戸の時代鐘を突く人がいて太陽の位置に応じて、アバウトな時間の金を鳴らして、時を知らせていた。ほかにもあるまだ正確に調べていないが、小伝馬町の公園になっている牢屋敷跡の時の鐘もあり、南千住の旧日光街道の首切りの小塚原、旧東海道の火あぶりの鈴ケ森の刑場迄行く罪人のため目こぼしで、時を手加減していたともいわれている。ここの鐘は当時江戸は上野の山は全体が寛永寺の敷地(その前は藤堂家今でも藤堂家の墓地がある)因みに上野のお花見は上野戦争後の明治神仏廃止以後からといわれている。