ホーム komaoyo 写真一覧 明石海峡大橋が架かる前の移情閣 komaoyo ファン登録 ユーザートップ 写真一覧 ギャラリー お気に入り ファン ファンになっているユーザーの写真 ファンになっている ファンになってくれている 明石海峡大橋が架かる前の移情閣 お気に入り登録251 520 D E 2022年10月26日22時18分 J B
撮影しているところに後年明石海峡大橋の1Aアンカレイジが設置される場所 退会される方が多いのか、どんどんお気に入りの数が減っていく。寂しい コメント1件 komaoyo プラウベルマキナ67 マキナとは,もともとドイツ・フランクフルトのカメラメーカであるプラウベルが1920-1960 年ごろに製作した,69判を主とした距離計連動折りたたみカメラでした.これはプレスカメラの範疇に入るカメラですが最終的にはレンズシャッターを用いながらレンズ交換式となり,またプレスカメラらしくフィルムバックを取り外してピントグラスを用いることができながら小型軽量であるなど,非常に独創性が高く,また高品質なカメラでした. その後,プラウベルはレール式ビューカメラなどの製作を続けますが,プラウベルの経営を担当していた創設者の息子が老齢となり,1975年,日本のドイグループに会社を売却します.ドイグループは,言わずと知れたカメラ販売店「カメラのドイ」を中心とした企業体ですが,創始者の土居君雄氏は単なる企業人ではなく,写真機に関して情熱を持ち,有数のコレクターでもあったということです. さて土居氏はプラウベル買収後,自らが理想とするカメラの製作に取り掛かります.まずはドイツのプラウベル社が試作しましたが(Makinette67),土居氏は満足しませんでした.しかしこのときすでにレンズはニッコールに決定しており,マキナに搭載されているものと同じ 80mm/F2.8 が装着されていました.これは,土居氏の強い希望だったようで,後に社長同士が知り合いであった小西六(現・コニカ)に設計を委託するようになっても,コニカ製のレンズを装着することにはどうしても賛成されなかったということです.しかし最終的には,ボディに関してはこのコニカ設計部による設計が製品となりました. マキナの設計者は、「現代のカメラ技術にもっとも大きな影響を及ぼしたカメラ」といわれる、ピッカリコニカ、ジャスピンコニカの設計者でもある内田康男氏です。 プラウベル・マキナ 67。120フィルム使用。10枚撮り。4群6枚構成のニッコール 80mm f2.8を装備した、軽量・コンパクトな中判カメラの銘機です。 プラウベルは元はドイツの名門メーカーでしたが、休眠状態にあったブランド名をカメラのドイが買収し、1979年に復活を果たしました。カメラの設計はコニカ、レンズは社長の希望でニッコールを装着。 洗練されたデザインと使いやすさ、ニッコールの描写の良さで現在も高い人気を誇ります。 露出計の電池はLR44を2個使用。フィルター径は58mm。 電池ブタが弱くて、直ぐ壊れます。 プラウベルマキナ67は1978年9月にフォトキナで発表され、1979年発売となりました。畳めば非常に小型になる上、1250gと軽量であり、蛇腹を使用したため内面反射が少なく、ニッコールの優秀な描写により一定の地位を得ました。特に写真家の荒木経惟氏が愛用したことがよく知られています。 製造は当初、小西六の関連会社であるコパルコーオンが担当しましたが、生産トラブルが頻発したため、マミヤ光機(現マミヤ・オーピー)の社長だった石田外男氏から中判カメラ製造設備集約の提案があり、1981年6月に製造委託先をマミヤ光機に変更されました。しかし1984年3月にマミヤが倒産、これに巻き込まれる形で1987年に製造中止となりました。 プラウベルマキナ67の特徴は6×7判カメラにもかかわらず、蛇腹を畳むと大変ボディが薄くなり、携帯性に優れています。この携帯性こそがプラウベルマキナ67の最大の長所でしょう。そして搭載レンズは「ニッコール80mm F2.8」。ニコンの数少ない中判カメラ用レンズであり、シャープでヌケの良い発色をします。焦点距離は35mm換算で約40mmとなり、スナップや風景撮影に最適な画角。携帯性とレンズの特長が合わさった唯一無二のカメラなのです。 2024年06月16日01時19分 最近お気に入り登録したユーザー ヤマダ ファン登録 HISHIKUWA ファン登録 お岩さん ファン登録 WBPHOTO ファン登録 だもんで ファン登録 coraika ファン登録 ちこちゃん ファン登録 mission ファン登録
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プラウベルマキナ67 マキナとは,もともとドイツ・フランクフルトのカメラメーカであるプラウベルが1920-1960 年ごろに製作した,69判を主とした距離計連動折りたたみカメラでした.これはプレスカメラの範疇に入るカメラですが最終的にはレンズシャッターを用いながらレンズ交換式となり,またプレスカメラらしくフィルムバックを取り外してピントグラスを用いることができながら小型軽量であるなど,非常に独創性が高く,また高品質なカメラでした. その後,プラウベルはレール式ビューカメラなどの製作を続けますが,プラウベルの経営を担当していた創設者の息子が老齢となり,1975年,日本のドイグループに会社を売却します.ドイグループは,言わずと知れたカメラ販売店「カメラのドイ」を中心とした企業体ですが,創始者の土居君雄氏は単なる企業人ではなく,写真機に関して情熱を持ち,有数のコレクターでもあったということです. さて土居氏はプラウベル買収後,自らが理想とするカメラの製作に取り掛かります.まずはドイツのプラウベル社が試作しましたが(Makinette67),土居氏は満足しませんでした.しかしこのときすでにレンズはニッコールに決定しており,マキナに搭載されているものと同じ 80mm/F2.8 が装着されていました.これは,土居氏の強い希望だったようで,後に社長同士が知り合いであった小西六(現・コニカ)に設計を委託するようになっても,コニカ製のレンズを装着することにはどうしても賛成されなかったということです.しかし最終的には,ボディに関してはこのコニカ設計部による設計が製品となりました. マキナの設計者は、「現代のカメラ技術にもっとも大きな影響を及ぼしたカメラ」といわれる、ピッカリコニカ、ジャスピンコニカの設計者でもある内田康男氏です。 プラウベル・マキナ 67。120フィルム使用。10枚撮り。4群6枚構成のニッコール 80mm f2.8を装備した、軽量・コンパクトな中判カメラの銘機です。 プラウベルは元はドイツの名門メーカーでしたが、休眠状態にあったブランド名をカメラのドイが買収し、1979年に復活を果たしました。カメラの設計はコニカ、レンズは社長の希望でニッコールを装着。 洗練されたデザインと使いやすさ、ニッコールの描写の良さで現在も高い人気を誇ります。 露出計の電池はLR44を2個使用。フィルター径は58mm。 電池ブタが弱くて、直ぐ壊れます。 プラウベルマキナ67は1978年9月にフォトキナで発表され、1979年発売となりました。畳めば非常に小型になる上、1250gと軽量であり、蛇腹を使用したため内面反射が少なく、ニッコールの優秀な描写により一定の地位を得ました。特に写真家の荒木経惟氏が愛用したことがよく知られています。 製造は当初、小西六の関連会社であるコパルコーオンが担当しましたが、生産トラブルが頻発したため、マミヤ光機(現マミヤ・オーピー)の社長だった石田外男氏から中判カメラ製造設備集約の提案があり、1981年6月に製造委託先をマミヤ光機に変更されました。しかし1984年3月にマミヤが倒産、これに巻き込まれる形で1987年に製造中止となりました。 プラウベルマキナ67の特徴は6×7判カメラにもかかわらず、蛇腹を畳むと大変ボディが薄くなり、携帯性に優れています。この携帯性こそがプラウベルマキナ67の最大の長所でしょう。そして搭載レンズは「ニッコール80mm F2.8」。ニコンの数少ない中判カメラ用レンズであり、シャープでヌケの良い発色をします。焦点距離は35mm換算で約40mmとなり、スナップや風景撮影に最適な画角。携帯性とレンズの特長が合わさった唯一無二のカメラなのです。
2024年06月16日01時19分