写真共有サイトPHOTOHITO人と写真をつなぐ場所

TR3 PG@ TR3 PG@ ファン登録

眼目山立山寺 本堂前庭

眼目山立山寺 本堂前庭

J

    B

    中雀門から本堂前庭に入ると、手前の左右に一対の立派な銀木犀、中央に回向柱が立ち、その後ろ左右に一対のこれまた立派ならかんまきが植えられ、その奥に本堂が構えています。 右には庫裡がありますが、曹洞宗の寺院らしく基本整然とした対象配置となっていますね。 銀木犀やらかんまきは樹齢400年程という古木で町天然記念物とのことです。 なお、昭和28年の火災で伽藍から宝物は全部焼失してしまったそうで、本堂は鉄骨コンクリート造りで復興されたものです。

    コメント1件

    TR3 PG@

    TR3 PG@

    この眼目山立山寺の開山は建徳元年(1370年)曹洞宗大本山總持寺二代峨山紹碩禅師の高弟大徹宗令禅師だそうです。 禅師が霊山立山に詣で、座禅をしていると、樵(きこり)の姿となって立山権現が現れ立山山麓の小丘を指して「かの地は法要の所、到り見たまえ」と禅師に懇請したとか。 寺院の建立を約束した夜、大豪雨となり今の寺の近くを流れる上市川に数千の大木が流れつき、翌日より18名の大工(伽藍守護の18神将)が集まってきて、七堂伽藍の精舎が落成し眼目山立山寺と号したそうです。 元々は七堂伽藍の整った立派な寺だったそうですが、永禄年間(1558~1569年)上杉謙信が加越能攻の兵火でほぼ全焼し、開山堂のみ残ったそうです。 天正年間(1573~1590年)、佐々成政が富山城築城のときに神通川の神を鎮めるため立山寺に祈祷を命じ、察花(眼目)村・極楽寺村の土地の中に寺領を設定し、立山寺の山の字から一画をとり、川の字にして立川寺と称せしめたといわれたようですが、明治32年(1899年)三十四世長谷川天頴は立川寺の寺号を元の立山寺と改称したとのことです。

    2022年08月24日19時13分

    新規登録ログインしてコメントを書き込む

    同じタグが設定されたTR3 PG@さんの作品

    • 美しき散居村夕景 Part2
    • 静寂な峡谷に・・・
    • 緻密な造形・・・ケルン大聖堂正面エントランス
    • 耳すます しんしんと降る 雪のおと
    • 秋 秘湯定期船
    • 秋仕舞・冬支度

    最近お気に入り登録したユーザー

    写真を削除しようとしています。

    本当に写真を削除しますか?

    こちらのレビューを他のユーザーに公開します。

    レビューを公開しますか?
    講評の公開設定については必ずこちらをお読みください。

    コメントを削除しようとしています。

    選択したコメントを削除しますか?

    エラーが発生しました

    エラー内容

    PAGE TOP