yoshi.s ファン登録
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*つづき 土佐の山内容堂は、薩摩や自藩の乾たちの動きから距離を置き、幕府擁護へと傾斜していくのだが、しかし解決策は見出せていなかった。そこに後藤象二郎から大政奉還論を献策されて、その考えに大いに頷いた。 大政奉還は、戦さによる倒幕ではなく、幕府自らが政治の主権を朝廷に返上することで平和裡に政治体制を取り替える、ということである。 *下に続く *これを今日昼間に揚げていたのですが、なぜか消えてしまっていました。 コメントを下さった写楽旅人さん、他お気に入りのみなさん、ごめんなさい。
飛び入りでーす! ***** 襲撃事件後のことである。「土州の者が勝の警護をしているようだ」。「大柄な男だ」。「岡田以蔵ではあるまいか?」。京の浪士たちの間で、そんな噂が立ち始めた。 えてして噂は本人の耳に入る。しかし、すでに土佐藩を脱藩していた以蔵は(勝先生のお命を救ったのはわしだ!)と、吹聴したい気持ちだった。そんな折、勝から呼び出しを受け、こんなことを言われた。 「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動(=ふるまい)は改めたほうがよかろう」——氷川清話 以蔵は人から感謝の言葉を受けたことが無い。天誅を加えた者の中には悪逆非道の輩もいた。そんな連中を葬っても誰からも、武市からも感謝の言葉を聞いた事が無かったのである。 もし龍馬が側にいたら「先生を守ってくれて、げにありがとう!おまさんは大した仕事をしてくれた!」。最大級の賛辞を口にし、立場を変えた以蔵の身の振り方を心配しただろう。もちろん勝も同じ思いだったのだが…。 勝の言葉に以蔵は拗ねた。心の中で龍馬の名を呼んだ…。
2022年08月02日06時15分
asasさん おっしゃる通りです。ゆったりと流れる大河も、ある時、怒涛のように荒れ狂います。 260年の太平の世の最後、幕末という時代は、まさに荒れ狂う川でした。 この激動の中を生きた龍馬たちの1日は、現代の私たちの1年にも匹敵するかもしれませんね。
2022年08月02日09時58分
今田三六さん 飛び入り、いらっしゃーい。 士は己を知る者のために死す。 士でなくとも、人は、自分を分かってくれる人がいれば、もうそれで十分なのですね。最後の一行がいいな。 さて、他人の心情を分かる、という人間がどれほどいるのか。とくにこの時代に・・。
2022年08月02日11時57分
yoshi.s
*つづく 後藤象二郎と龍馬の斡旋で、薩摩と土佐は改めて会議を開いた。その席で、幕府に大政奉還を迫る論が支持されて、新たな薩土盟約が結ばれた。武力倒幕よりもはるかに穏やかな収拾方法である。 しかしそれはつまり、土佐と薩摩は相矛盾する2つの盟約を結んだことになる。それはそれぞれの都合による。 土佐では、乾退助らの倒幕派と、容堂の意を体した後藤象二郎や龍馬ら大政奉還派の潮流が拮抗していた。その二つの流れがそれぞれに薩摩と盟約を結んだのである。 また薩摩としては、おそらく大政奉還は無理であろうから、それで失敗すればそれこそ倒幕のよい理由になる、と考えての二段構えの盟約であった。 そもそもが無理のある二つの盟約だった。 案の定、この大政奉還の盟約は、2ヶ月半後の9月には解消されてしまう。薩摩側からの破棄である。土佐側の動きに遅れが生じ、その間に、倒幕に進む長州や土佐の乾たちからの突き上げがあったからである。 事態は一気に倒幕へと動き出した。 薩摩は、土佐を外し、長州、芸州(安芸/広島)と結んで、武力による倒幕へと足を踏み出したのである。 *つづく
2022年08月01日22時56分