ある男の写真日記
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午前中に無呼吸症候群の通院を済ませ 近所のスーパーで大学柔道部OB会で夏合宿の差し入れとして スイカを16個ボクシーに積込み終わったら お袋の施設から電話が掛かってきた。 昨年三月は下腿の内出血でカテーテル手術を受けたのだが 今回は肩の内出血で明日緊急手術をするので市民病院へ手続きに来てくださいと。 明日は私の四回目のコロナ接種の日である。 勿論接種はするが輸血しながらの手術らしい。 前アカウントか以前にもアップした自作の詩と写真を開いた。 お袋の人生は正にこの通りだった。
突然の連絡、さぞかし驚かれたことと思います。 うちもそうですが、入居先から電話がかかってくると ドキッとしますよね。 無事に手術が終わることをお祈り申し上げます
2022年08月01日21時53分
okamosさん オーちゃん!さん よねまるさん いつもコメントありがとうございます! まとめてのコメントお許しください。 皆さまお気遣いありがとうございます。 お袋の手術は本日の三番目の手術でいつになるか分からないということでした。 ですから私自身副反応が強いコロナ四回目接種を本日済ませ 自宅で待機している状態です。 心配ですので病院に午後に電話をするとまだ始まっていないということでした。 そして今また電話をするとたった今終わったと病棟に看護師さんが答え また先生から経過を連絡されると仰ってましたので 今は電話待ちの状態です。 当然コロナかで面会は出来ません。 また、面会し私と顔を合わすと興奮して家に帰ると言い出すので尚更です。 緊急で電話がない所を見ると 手術は良好だったのかなと期待しております。 ご心配頂きまして恐縮です。 ありがとうございます。
2022年08月02日19時58分
お母様 経過良好であることを祈ってます。 きっとオズマさんと私は同年代かと勝手に思ってます。 私は昭和34年生まれ。ここだけのカミングアウト(笑) 私たちの親の世代って ほんまに苦労してますね。 私の父も 生まれつき目が悪かったので 「お前のような非国民は海に沈んで石油になれ、それがお国のためだ」と戦争中は毎日 将校から殴られたり蹴られたりしたそうです。 目が不自由な中で 家族のために 尽くしてくれた父。いつも笑顔の父には 本当に感謝してます。 母は脳梗塞後 ずっと家で生活しています。毎日ヘルパーさんに来てもらってますが、かろうじて部屋の中は 手押し車で移動してる日々。いつ転倒してもおかしくない状態で心配。 今私が離れて住んでいるので 往復6時間(高速一部長期工事中で尚更時間がかかるようになりました)日帰りで戻ったり 泊まったりがしょっちゅうの日々です。 この往復生活もそろそろ限界かなと思うけれど、気持ちはしっかりしてて「死ぬまで家にいたい。ショートステイも嫌」と言うてます。ただ今心の中で葛藤中。父の時は 母が率先してショートステイなども利用していたのですが。 とにもかくにも オズマさんも身体にだけは気をつけてくださいね! 長々と失礼しました。
2022年08月03日14時43分
いずっちさんいつもコメントありがとうございます! そうなんですか。 と言うことは家内と同じです。 私は昭和33年10月で家内は34年の一月生まれです。 仰る通り私たちの親の世代って 戦中から戦後を生き抜いてきた世代ですから 私の世代では考えられない苦労もしたと思います。 しかしお父様は目が悪いことからそんな仕打ちを受けるとは 多分憲兵隊だと思うのですが 世の中の思考が狂っていた時代ですね。 ご苦労も大変だったことでしょう。 いずっちさんも往復6時間で親の世話とは大変ですね。 その点私の母は特養に入所してますので楽な方です。 ただ、今はコロナで面会できませんが 今回の手術で顔を久しぶりに合わすと 第一声が連れて帰ってくれ!でした。 それを言われると非常に辛いです。 でも、下の世話や立ち上がることもできないので 今でも働いている妻の負担も大きくなり 特養が一番だと思ってます。 お互い頑張る…という言葉は好きではありませんが ぼちぼちと頑張って生きていきましょう。(苦笑
2022年08月04日10時01分
ある男の写真日記
ボタとは炭鉱から採取された石炭から主要部分を取り除いた 石炭くずでそれらが滑車で山のなっていたのがボタ山である。 そんなボタ山にも石炭が多少残っているらしく 危険なボタ山に登って竹みので拾い集め リンゴ箱にそれらを積込み生活の足しにしていたようだ。 ボタ山でサイレンが鳴ると滑車からボタが放られ 拳大の石が落ちてくる。 そのサイレンを聞くと急いで降りなければならない。
2022年08月01日19時05分