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「北のウォール街」とよばれた色内大通りを進むと、急に古い商店街が並ぶ堺町通りに入ります。 その境の川に架かっている橋が境橋で、その角にあるお店がこれ、大正硝子本店です。 これから通る境町本通りには硝子屋さんが何軒もありますが、これら硝子屋さんの品物は“小樽硝子”として様々なものが流通しているようです。 ここでピカン♪ 硝子といえば・・・ガラスペンですねぇ(^^ゞ・・・ さて、小樽硝子や北一硝子についてはコメント欄で・・・
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小樽のガラスの歴史は、生活必需品の「石油ランプ」と、漁業に使う「浮き玉」から始まったそうです。 明治中期(1890年頃)小樽は北海道の玄関口や国際貿易の拠点として、北海道開拓の重要な役割を担うものの、北海道は電気の 普及が追いついていなかったため、ガラス製の石油ランプが各家庭での「あかり」として必需品だったようです。 一方で、古くから小樽は漁業が盛んであり、特に明治から大正にかけてはニシン漁の全盛期。 その当時、漁具として「ガラス製の浮き玉」を使用していました。 このため、小樽では実用的な石油ランプや浮き玉製造を中心とするガラス工業が盛んになりました。 しかし、電気の普及やニシン漁の衰退などで、その需要は減少傾向となり、実用性重視だったガラス製品を見直し、デザインにこだわり、ぬくもりや安らぎのあるものを生み出し、インテリアや小物などにも使われるようになっていきました。 それが市民や観光客にも喜ばれ、いつしか「小樽といえばガラス」と定着ていったそうです。 時代の変化とともに需要が減っていたガラス製品が、作り方や使い方を少し変えることで生まれ変わり、ガラスは小樽の文化へと根付いていったようです。
2022年07月27日06時41分