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上ノ国の道の駅で休憩し、穏やかな海岸沿いを10㎞ほど走ると江差に到着です。 ここの目玉の一つがこの開陽丸です♪ 榎本武揚率いる旧幕府海軍の西洋軍艦ですね。 江戸幕府がオランダで造った当時の最新式軍艦ですが、1868年(明治元年)11月15日、戊辰戦争真っ最中に江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没しました。 その遺物が海底より発掘され、ここ江差の港に往年の姿を復元した海の駅「開陽丸記念館」に展示されています。
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以下、Wikipediaから沈没に至る開陽丸の運命です・・・ 「慶応4年(1868年)4月11日の江戸城無血開城、開陽丸を新政府軍に譲渡する事を断固として拒否し続けた榎本武揚…同年8月19日、開陽丸を旗艦とした榎本艦隊は、遊撃隊など陸軍兵を乗せた運送船4隻(咸臨丸、長鯨丸、神速丸、美賀保丸)を加えて品川沖を脱走し、蝦夷向かった。 旧幕府軍は函館五稜郭、松前城を奪取した後、江差へ進軍を開始。その援護のために開陽丸も11月11日に箱館を出港して江差沖へ…11月14日に江差沖に到着、陸地に艦砲射撃を加えるも反撃がないので、斥候を出すと、松前兵は既に撤退していた。榎本は最低限の乗組員を開陽丸に残して上陸し、江差を無血占領した。 ところが翌15日夜、天候が急変する。開陽丸は、タバ風と呼ばれる土地特有の風浪に押されて座礁。江差沖の海底は岩盤が固く、錨が引っ掛かりにくいことも災いした。回天丸と神速丸が救助に向かったが、その神速丸も座礁・沈没する二次遭難に見舞われ、開陽丸は岩礁に挟まれていよいよ身動きが取れなくなる。留守を預かっていた機関長の中島三郎助は、艦内の大砲を一斉に陸に向けて撃ち、その反動で船を離礁させようと試みたがこれも失敗に終わり、乗組員は全員脱出して江差に上陸。数日後、榎本や土方が見守る中、開陽丸は完全に沈没し、海に姿を消した。」
2022年07月20日19時30分