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思い入れの強い、忘れられない記憶 資金と保管場所が揃えば買い戻したい! 「世界最速を狙う」という意思表示が明確に表れたスペックをもつバイクが1968年にカワサキから発表された。それが500SSマッハⅢ H1である。2サイクル並列3気筒を搭載し、各気筒毎に配置されたキャブレターはVM35SCを3連装、最速という目標を達成するために一役かっている。そして得た最大出力はリッターあたり120馬力という1969年当時としては2スト断トツの性能となった。
マッハⅢとかXS650とか言っても今の人は知らないでしょうね。 マッハⅢとはカワサキが打倒CB750として0-400通称ゼロヨンを如何に速く通り抜けるかを第一に考えて作ったとんでもないシロモノ。当時のK1(ケイワンCB750Four)にも負けずに走り抜けます。それ以上の距離は最高速度差で直ぐに追い抜かれましたが。 XS650(XS-1)はヤマハが目黒からカワサキに置き換わったW650に対して出した初めての4サイクル・バーチカルツイン。振動が凄くてセンタースタンドを立ててても少しの傾斜が有れば勝手に滑り動く程でしたが、乗ってみれば分かるこれぞまさに「鉄馬」に相応しい乗り心地。マッハⅢの対抗車ホンダCB750Fourも他の二つも1960年代に世に出たモノ。このCB750Fourで初めて210km/h越えを経験。マッハⅢの暴れる車体に比べなんと安定しているか、その当時からCB750Fourは完成度が高かったのです。のちのスズキRF900Rではリミッター付きでも190km/h(並行輸入モノはストレス無く240km/hまで登りつめます、回転数より260km/hまではなんとか)は出てましたが安定性安心性は1960年代当時とは比べものにならないのは技術の発展のおかげでしょう、しかしながら乗って楽しむ点では1960年代ですね。味わいと「操る楽しみ」をくれる存在で、今でもこれからもその感覚は忘れる事は無いでしょうね。
2022年05月11日12時28分
komaoyo
「世界最速を狙う」という意思表示が明確に表れたスペックをもつバイクが1968年にカワサキから発表された。それがマッハⅢである。2サイクル並列3気筒を搭載し、各気筒毎に配置されたキャブレターはVM35SCを3連装、最速という目標を達成するために一役かっている。そして得た最大出力はリッターあたり120馬力という当時としては断トツの性能となった。 イグニッションスイッチを捻るとシート下から独特のミーンという音がする。これは当時非常に高価であったイグニッションシステムのCDIイグナイターから出る音である。 独特の形状のキックペダルを踏みこみエンジンが甲高い音と共にエンジンは目覚める。 ギヤーを1速に入れエンジンを3000回転まで上げ絶妙のクラッチミートで発進させる。この時クラッチミートに失敗するといとも簡単に棹立ちとなる。アクセルを開けると甲高い排気音と煙幕のような排気。マッハⅢを語るにはこの2ストの排気音と煙が象徴でした。 マッハⅢを知る人によく言われる「真っすぐ走らない」これは一体どういうことか。 乗ればわかります。それも160km/h以上になったときにそれは体感できるでしょう。その体感は未経験者には「恐怖」としか感じず速度を落とすことになります。それを突破できるのは限られたライダーに限ります。暴れる車体をねじ伏せるだけの力量と精神力がものをいうのです。これの原因は開発時より懸念されていた事であり出力に対しフレームがあまりにもキャシャであること、フロントフォークの外径が細すぎて捻じれを解消できない事によるものが大きく影響し、ハンドルブルブル、フレームがよじれる感覚とこれにより真っすぐ走らせることが非常に困難となるのです。これを克服することが真のマッハ乗りとなれるのです。 当時、未だかつてないそのスピードの境地に立たされたライダーたちは何を思ったのでしょうか。感動または恐怖でしょう。そんな『選ばれし者』のみを受け入れるマシンは現代においても一部のライダーたちの憧れとして長く君臨し続けています。 当時のカワサキ の熱い思いと、異次元のスピード境地は今後もライダーの語り草となるでしょう。車体としても秀逸なデザインなので、眺めているだけでも十分満足できます。
2022年05月11日12時22分