ある男の写真日記
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我が家のリフォームの為 断捨離を含め整理整頓をしていたら 一枚のセピア色の写真が出てきた。 親父の写真だった。 以前よく似た写真を見つけたが同じ日光東照宮ではないかと思う。 写真右端が亡き親父である。 俺と全く違うジャニーズ系かな。(笑 親父がお袋と知り合う前の二十歳前後だと思うので 昭和26~8年あたりの撮影だろう。 どんなカメラで撮ったのだろう? フィルムは? 松阪の夜間高校の修学旅行だったのか? 色々と思いは馳せるのだが 今の自分では撮れないとても素敵な写真だと思った。
良い写真ですねぇ。実は私もこの2月に父親を98歳で見送りました。 写真が好きだった父親なので、若い頃に撮り溜めたモノクロ写真が 山ほど。きっと、他に娯楽がなかったんでしょうねぇ…。 写真を貼ったセロテープが茶色く焼けていましたよ。今度、整理しなくちゃ。 リフォーム工事、いよいよ始まるんですね。しばらくは不自由もあるかもですね。 いろいろとご苦労様です!m(_ _)m 痛めた腰は大丈夫ですか?無理しませんように^^
2022年05月10日19時16分
かなりイケメンですね。 遺品整理してて、私の知らない父の写真がたくさん出てきました。 初めは残しておいても誰も見ないから処分してしまおうと思いましたが、 やはりもう少し残しておくことにしました。 髪もふさふさ、美形に写ってましたけど、昔のカメラは修正もしてくれるのかしらなんて思ってしまいました。
2022年05月10日20時40分
湘南シーガルズさんいつもコメントありがとうございます! まさにドラマですね。 お父様は大変ご苦労をされましたね。 戦後の混乱期は私の母も九州の炭鉱町で育ちましたが 貧乏ゆえ母の九人兄弟と祖母はボタ山くずの石炭を竹みので拾い集め リンゴ箱に詰めてそれを売って生活の足しにしていました。 ただ、祖母が妊娠中もその重労働をしていた為 母の弟はへその緒が首に巻き付いて仮死状態で生まれました。 何とか蘇生されましたが頭に血液が回っておらず 亡くなる40過ぎまで立ち上がること、言語、思考、排便、食事等 全て祖父母と母の兄弟で面倒を看ていました。 九州の炭鉱町って当時はとても閉鎖的で 弟の為に近所や同級生からも後ろ指を指され いつも頭を垂れて生活していたようです。 それもあって母の姉が九州の家を売り払い 東京に出て祖父母と不憫な弟を呼び寄せて横浜に家を建てさせました。 私はその叔父のことを明確に覚えております。 と言うのも夏休みはいつも祖父母宅に預けられていたからです。 長くなりましたが 何処の家庭でも大なり小なりドラマがありますね。 ただ、そんな環境を生き抜いた人は忍耐強いと思います。 私なんか人格崩壊してしまうことでしょう。 私の親父は松阪工業高校の夜間部でした。 若い頃は結構道楽者でしたが お袋程苦労はしていませんが 逆にそれが商売をするのには良かったのかもしれません。 今でも私は親父の足元にも及ばないと思ってます。 あの世で今の私の体たらくを見ると お前なにやっとるんだ! なんか自分で商売でもしろ! 人に使われているようじゃダメだ! なんて嘆いていると思います。(苦笑 そういえば親父も蛇腹のカメラを一つ持ってましたね。 名前は分かりませんがボタンを押すとファインダー?が立ち上がるカメラでした。 ただ、私の幼い頃の写真はあまりありません。 お父様のRICOH SINGLEX TLSを検索しました。 今でも数点だけオークションにありました。 ただ、とても古くて程度の良いのは無さそうでした。 思い出深いカメラです。 大切にお使いください。 長々と長文失礼しました。
2022年05月10日21時41分
よねまるさんいつもコメントありがとうございます! 今年の二月にお亡くなりになられたのですねぇ。 98歳とは大往生で天寿を全うされましたね。 ご立派だと思います。 お写真がお好きとはよねまるさんに遺伝されましたね。(笑 ネガフィルムが残っていると思いますが 私も先日まで少し子供達の幼い頃の写真をスキャンしてましたが 非常に大変で途中で途切れてしまいました。 リフォーム後にまた再開したいと思ってますが なんせ自分が写真撮る方が楽しいのでどうも後回しになりそうです。(苦笑 リフォームは来週辺りから始まります。 そして明日は業者とご近所に粗品を持って挨拶周りをする予定です。 実はリフォームとその後にはもう一つありまして リフォーム以上の緊張感があり今年は気が緩めませんね。 ただ、夜は酒呑んでますが…(苦笑
2022年05月10日21時50分
山菜シスターズさんいつもコメントありがとうございます! イケメンですか? ありがとうございます。 天国の親父に仏壇通して伝えます。 喜ぶと思います。(笑 お亡くなりになられたお父様のお写真はなかなか捨てられませんよね。 お気持ちお察し申し上げます。 私もそうです。 以前も申しましたが永六輔が言った言葉に 人間の本当の死とは最初に肉体だけの死があり その後に亡くなった人を思う人が居なくなった時が 本当の死だと言ってました。 なるほどと思いました。 だから写真も孫、そしてその次の代になると 誰かも分からなくなり本当の死が訪れるのでしょうね。
2022年05月10日21時55分
湘南シーガルズ
いいお写真ですね。 私の父は,生後半年で父親を失い, 母親は3人の子供をおいて再婚してしまったため, 戦災孤児のような幼少期を過ごしました。 上野の親戚の家から中学校を出させてもらうとすぐに就職, 定時制高校に通ったそうです。 父が初めてカメラを買ったのは,私が生まれたときなので, 若き日の父の写真はありません。 父が始めたかったカメラは「RICOH SINGLEX TLS」 修理しながら,今でも私が使っています。
2022年05月10日11時41分