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僕がアメリカで見た物は なんだったのだろうか と帰国する度に思う 日本でそれを創る事が非常に難しく 服飾、デザイン、アート、音楽は 日本では力を入れていない分野で 多様性と言いながらも 今後世界からは取り残されていくだろう アニメはとても高い評価を得ている一方で 日本が世界に誇れるアートはなんだろう? 伝統的な職人も、後継者が不足している現状で 僕達が創作したものは、誰が周知させ 認知させるのだろうか 広告や宣伝のマーケットは決まっていて ルールも出来上がってしまっているんだ
7491写真館さん。 はじめまして。 深い考察をありがとうございます。 どういう形であれ、“何か”をgive出来る写真を撮っていきたいと思っています。 ファン登録させて頂きました。 いつでもコメして下さい。
2022年03月22日00時23分
7491写真館
dogと人とのちがい、アメリカ人が飼主であって、アメリカで生活するdogはおそらく私の話す日本語を理解しないであろう。しかし、日本語が通じなくても、dogとはおそらく心は通じると思う。 生まれ育った場所でのカルチャーは身体の細胞の隅々まで浸透するので、また自分の精神の動かし方の微細な細部まで浸透するので、素のままの自分というものはおそらく考える事は途轍もなくむつかしくなる。 カルチャーのエーテルに常時ひたされている身と心を自由に解放することがはたして個人一人ひとりにおいて可能であるのか、ツクヅク、このdogの顔の表情を眺めて、むつかしいと感じます。 カルチャーという国民共通のモードを身につけているのが人であるかぎり、おそらく、dogがもっている生き物としての自由を表現することですら、とてもむつかしいと思います。dogのほうが、人より自由であると思うのです。 表現の自由ということが本当は何を意味するのか、それですら、カルチャーのもっている論理によって多義的に幾重にも規制されていますから、自分の立ち位置が座標のどこにあるのかを測定することも、やはり、むつかしい。 カルチャーのモードを脱ぎ捨てることができない人の場合、不可能であっても、犬の眼になりきることしかないのでしょう。
2022年03月20日21時15分