ち太郎 ファン登録
J
B
地蔵菩薩像と並んで、青面金剛像・三猿の板状駒型の庚申塔があります。 共に、野田の地蔵講中30人によって享保年代(1716年〜)に造立されたようです。 野田というのは昔この辺りが喜多見村だった頃の名前とのことで、富士講とかが盛んな時代でもありました。 んんっ..、古道らしい存在でもありますが、移動したという情報で、「古道ではない」という気持ちに傾いてきました。
>よねまる様 徳川吉宗公の時代ですね。 江戸もだいぶ安定しました。ただバブル崩壊のその後ですから、政治は大変だったと思います。 佃島などもこの頃から作られていくようですね。 いつも嬉しいコメントありがとうございます!
2022年01月06日12時22分
>tunako様 判っている古道を訪ねるのも面白いですが、悪戯&覗き趣味でも自分で検証するのも楽しいのかなあと思ったので、やってみました(笑)。 いつも嬉しいコメントありがとうございます!
2022年01月06日12時24分
>gustave様 私の古道の取りかかりは熊野でした。牛馬童子像を目の前にしたときに自分でも解らないほど感動しましたね。それと開発されていない現地の状況---これが素晴らしかったのです。 いつも暖かいコメントありがとうございます!
2022年01月06日12時27分
>うめ太郎様 歴史を少し知ることで、行った先の現地で昔の姿を想像できる---これが好きです。昭和の路地は自分の記憶にリアルに残っていますので、それとは違う楽しみかなあ〜と思います。 いつもご丁寧なコメントありがとうございます!
2022年01月06日12時28分
よねまる
享保年間ということは江戸の徳川吉宗公の時代ですねぇ。 鎌倉街道、謎めいて奥が深そうですね。私、迷いそうです^^
2022年01月04日19時18分