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手持ち文鳥(臨時休業)
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40年以上も絶縁状態だった南海ホークスに、ようやく帰ってきてくれました。 その経緯については下記コメント欄の通りです。
プロ野球ファンとして、野球をやっていた身として、南海ホークスには『野村、門田、江本、山本、藤原』は今でも脳裏に残っております。 そんなワタクシは現楽天ファンの元近鉄ファンでした(笑)
2021年12月05日22時26分
>Mr.Snowmenさん 近鉄にはこの手のミュージアムがないんですよね。藤井寺球場の跡地に小さなモニュメントがあるだけで、少々寂しいことになっています。 合併後はアイデンティティを失くしてしまったことで、応援するチームがなくなってしまった方もいるようです(;´д`)
2021年12月05日22時55分
手持ち文鳥(臨時休業)
南海ホークスの本拠地だった旧大阪球場跡の「なんばパークス」にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」には、開場以来、ノムさんの名前も写真はありませんでした。 理由はノムさんの夫人として知られる故・沙知代(サッチー)夫人との結婚の経緯にあります。いわゆる「不倫略奪婚」でして、ノムさんには妻子があり、前妻はホークスの親会社・南海電鉄の幹部の御令嬢でした。 サッチーがノムさんと結婚する前から、当時選手兼任監督だったノムさんの威光を背景に、ベンチ裏で色々と選手に干渉していたとも言われています。これが事実なら当然あってはならないことです。このような経緯でノムさんは20年以上プレーした南海を追われることになりました。その後ロッテ、西武で現役を続け、45歳で引退しました。 要するにノムさんと南海は絶縁状態だったのですが、これはノムさん本人よりもサッチーの意向だったと言われています。そのため、南海ホークスの歴史から野村克也の名前は完全に抹消されてしまいました。 南海、ダイエー、ソフトバンクと親会社が変わっても、「ホークス」の選手としての打撃記録のほとんどをノムさんが持っていることを考えれば、これは異常事態でした。この状況を何とかしようと立ち上がったのが、監督・ノムさんの下で南海でプレーした江本孟紀さんでした。 ノムさんの名前のないメモリアルギャラリーにノムさんを呼び戻そうと、改修資金をクラウドファンディングで集め、野村夫妻の息子である克則氏の了解を得て、ノムさんの没後1年となった今年2月に、ノムさんのユニフォームなどの記念品とともに、ようやく名前と写真が飾られることになったのです。
2021年12月05日21時53分