Khmer
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カンボジアでは良く見かける光景ですです。小さな子供まで僧侶の前では裸足になって合掌します。
カンボジアに対する額も知識もありませんが 仏を信じる気持ちはホッとしますね。 ただ、冷たい言い方だと 手を合わせる人々は我の幸せを願うばかりで 今の世の現状・仕組みがおかしいとは思わないのでしょうね。 やはり教育が一番大切かもしれません。
2021年12月05日10時56分
Left alone様、そうなんです。例えば葬儀に出席したとします。遺影を前に膝魔ついて冥福を祈るど同時に、仏様になった故人に自分は幸運になる様にお願いするのだと言う事も知ってしまいました。これは友人のグランパの葬儀に出た時に知った話です。教育者も同じです。教育者も教育が必要ですよ。
2021年12月05日14時22分
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コウエン様、コメント有難うございます。カンボジアではこうして托鉢する僧に功徳を積む事で死後の世界へ成仏できると考えられています。崇敬とは相手や対物、事象があっての事です。托鉢(乞食業)をする僧に対する施しで個の願いを伝えて貰う行為が功徳です。では誰に伝えて貰い、成仏をお願いしているのか、それはお釈迦様なのでしょう。カンボジア(広く東南アジア諸国)では上座部仏教がその様にジャヤバルマン7世の頃(800年位前)から伝わっています。カンボジア人の崇敬はおそらくこうした宗教観にあると考えます。
2021年12月04日08時44分