TR3 PG@
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城門近くで振り向くと、目と鼻の先の上にあのトルツェル城が見えます(^_^; 時は14世紀、中国からヨーロッパに火薬が伝わったのは13世紀頃と言われ、大砲が使われ始めたのが14世紀末から15世紀のイギリスとフランスの百年戦争と言われています。 まだこちらでは大砲は無いと思われます。 故に、攻城兵器は弓矢や投石機・・・故に高度差ってのが大いに影響するはずです。 距離230m、高度差約40mのトルツェル城が優位ですねぇ(^_^; でも、エルツ城は一度も破壊されず今の世に残っています・・・さて・・・
オーちゃんさん、いつもコメントありがとうございます。 どうも、調べれば調べるほど、このエルツ城攻めは内輪もめレベルでしかないように見えました。 ただ、絶対権力者の命令で渋々攻めているように見えますね。 文献の中には「調査によると、攻め城(トルツェル城)を造ったものの、その建築資材を見ると、決して長期的な視点での造りになっていないことが明確です・・・云々。つまり本格的に攻め落とすことを考えていなかったのではないかと・・・云々」とあります。 その後もエルツ一族がトリーア大司教のもとで要職に付き続けたことからも、ちょいと権力の力をチラ見せしたのではないでしょうか。 つまり生きるか死ぬかの戦いではなかったような気がしています。 結果、兵糧攻めとかもなかったのではないかと・・・
2021年09月26日20時31分
TR3 PG@
調べてみると、エルツ一族はトリーア大司教(選帝侯)傘下の軍事的有力諸侯として位置していましたが、ルクセンブルグ王家筋がトリーア大司教になり、その領土拡大の野望との軋轢が生じたようです。 そのエルツ一族への威嚇としてトリーア大司教が築いたのがエルツ城の目と鼻の先のこのトルツェル城で、実際にエルツ城を何度も攻めたようです。 が、結果として落とせず、多分和睦してエルツ一族は地位を確保して更に勢力を強め、後世にはトリーア選帝侯やマインツ選帝侯も務める人物を輩出していったようです。 エルツ一族はその後も栄華を極め、ヨーロッパ各地に領地を拡大し、現在もヨーロッパ各地に資産(城やエルツハウスという建築物など)が残っているとのことです。 現在もドイツ人で“○○ von Ertz”と名乗る著名人が何人もいますが、彼らはこのエルツ一族の末裔なんですね。 ちなみに、“von”とは爵位を持っている人物や一族に付きます。
2021年09月26日17時59分