yoshi.s
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鳥居を一歩出た。 世界が変わった。 どこか外国の街に行ったかのような、新しい風景を見ているような気がする。 鳥居の内と外の世界が違う。いやたぶん、私の感じ方が異なるのだ。 境内に入る時には、そんなこと思いもしなかった・・。 境内にほんの少し居ただけなのに、いったい自分の心持ちの何が変わったのだろう。 これはとても面白い自問だと思ったので、よく咀嚼してみた。 で、それなりの結論を得た。 *下につづく
相変わらず速い!はなてふさん でも上記を書き終えました。よかった。 私の自問自答にお付き合い下さって、ありがとうございます。 でもはなてふさんの自問は、的を得ているかも知れない。まずそれに気づくことが素晴らしい。 はなてふさんの、新しい目への挑戦を楽しみにしていますよ。
2021年09月18日16時24分
以前、ダライラマが東京を訪問された時に著名な日本の物理学者と一緒にこの世界が、地球が誕生した、宇宙が誕生した際の、ビッグバンと宗教ついてのパネルディスカッションを受講しました。物理学者は各々、この宇宙で起こるすべての現象をデータを基に科学的に分析して立証しました。しかしダライラマ法王は科学的な事物の立証は大切であるが、今我々人類にとって最大に必要なのは精神的および非精神的事物の分析や検証よりも”Compassionate ethics in difficult times"だよと一喝。そうすれば世界は一体となり、これまでの人類の英知が更に有効化すると彼の平和理論にパネルディスカッションの内容が変わっていったのを覚えています。”実証的科学の発展で人類が100歳を超えて300歳、500歳まで生きられるでしょうが、私はそこまで生きたくないなーーあなたは生きたいですか?”の法王の問でパネルディスカッションは終わりました。
2021年09月18日19時54分
Khmerさん 興味深いエピソードです。 そのcompassionate ethics を、人の心の中にどう醸成するかが問題ですね。 可哀想だから助けてやろう、という段階から一歩進んで、compassion、他人の苦しみは自分の苦しみだとの感覚をどう養うか。 心を洗う、ということはその一歩なのかもしれません。
2021年09月18日21時59分
仰る通りです。ところで写真がご縁でこの様にコメントを通じてですが色々と談義が出来て大変光栄に思います。これからも懲りずに宜しくお付き合いの程、お願い致します。写真は良いですね。こうしたご縁を頂戴いたしました。 本当に有難うございます。Compassionate ethics の醸成の為にお互いに頑張りましょう。Compassion !!!
2021年09月18日21時57分
私の方で、リアル社会の隣のインターネット内社会の話をしましたが、これはある意味リアル社会の隣の精神社会のことですね。 ともにどの程度の認識があるかはその人次第ですが、多重社会の中に私たちは生きていますね。。
2021年09月18日22時21分
頑張れ!てんちゃんさん たくさんのお気に入り、ありがとうございます。 インターネットによって世界は急速に狭くなり、単純な情報交換なら相手が隣にいるかのごとくにできるようになりました。たいへん便利です。しかしその情報が自分の心身に大きく影響を与えるようなものだと、利害相半ばします。 使い方をよくよく学ばねばなりませんね。
2021年09月18日23時37分
yoshi.s
*つづき 鳥居の中に入る時には、これは何だろう、あれはどうなっているのかなどと、一つひとつ分析的に考えていた。ところが鳥居を出た時には、この表町通りを全体的に眺めている自分に気づいた。外国の街を初めて眺める時のような、新しい目。子どものような目だ。 そうか、私はそれまでの、知識によって事物を分析的に見ようとする習慣を、いつの間にか境内で洗い流して来たのだな。・・これが、洗心か。少なくとも洗心のひとつではあろう。 科学という言葉どおり、人間は事物を分析的に研究して今日の文明を発達させて来た。科学は、分けて考えるということなのだ。 しかし、世界はつながっている。本来一体なのだ。分析的思考は解析に役立つが、世界の本質を捉えるには全体的な思考が必要だ。 現代人はものをよく考えるようになったが、全体を捉える直感的把握に欠けて来ているのではなかろうか。両者共に必要なはずだ。 期せずして私は、その違いを理解したように思う。あとは、両者を自在に使い分けられればいいのだ。 どうやら新たなテーマができたようだ。人生100年、まだ短い。
2021年09月18日15時30分