徳田新之助 ファン登録
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現在大阪城公園内にある天守は、徳川時代の天守台石垣の上に昭和6年に鉄筋コンクリートで作られたてられたものだ。形状は史実に基づかない。先の大戦の戦禍からのがれた大阪のシンボルである。
実は秀吉が作った大坂城天守はどのようなものであったのかよくわかっていないのです。現在の広島城天守に似た大きさと形状ではないかと推測されています。宣教師ルイスフロイスは自著の日本史の中で大坂城天守に関する記述をしています。それによると最上階は8階でとても狭く、高欄から整備中の城下町を眺めた。信長は天主に住んでいたが秀吉自身は不便なのでここには住んでいない。4階に降りて秀吉と一緒にお茶を飲んだということです。安土城とともに大坂城もミステリアスです。
2021年09月08日22時51分
レリーズ
豊臣時代の、黒い大阪城が見てみたいです。
2021年09月08日21時03分