徳田新之助 ファン登録
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城の北東方向から撮影。三階櫓のこちら側には出窓や石落としが装備されている。奥州街道に睨みを効かせる必要があったのだろう。阿武隈川がすぐそばを流れて堀の代わりをしている反面、広い曲輪を配置できないため守りを固める必要があったとも考えられる。伊達、上杉、加藤の大藩はまだ気を許せない危険があった。
あさかぜさん毎度ご覧いただきありがとうございます。川の深さを示す資料は見たことがありませんので良くわかりません。ただ平家物語も出てくるように川の中に綱を貼って馬が川を渡れないようにしたり、大軍が一気に攻めて来ることがないようにする効果はあったと思われます。白河小峰城の城下町を整備するときに阿武隈川の治水工事も行われ、流れを人工的に変えていることがわかっています。
2021年08月24日22時30分
レリーズ
現在の小峰城裏の阿武隈川を見ると、 意外と浅いので堀の役目をしていたのでしょうか? 昔は深かったのかな?
2021年08月24日22時03分