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かつてここに・・・@レマーゲン

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    今から76年前の早春、ここに立派な鉄橋が存在していました。 ライン川に残された最後の橋でした・・・ 今は両岸に残る石積みの橋頭のみがかつての存在、その歴史上の事実のモニュメントとして、今もなお多くの人々が訪れています。 76年前、1954年3月の出来事・・・ その24年半後の1969年8月にハリウッド映画「レマゲン鉄橋The Bridge at Remagen」として公開され、翌年春には日本でも公開されました。 その内容は・・・

    コメント2件

    TR3 PG@

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    映画「レマゲン鉄橋 The Bridge at Remagen」のストーリー 第二次世界大戦末期の1945年2月、連合軍は敗走するドイツ軍を追ってライン川に迫った。ドイツ軍は、天然の要害であるライン川を盾にして防御するしかなく、連合軍もライン川を渡河すべく、無傷の橋を目指していた。 ドイツ軍のブロック将軍は上司から、担当地区に残る橋を全て爆破するように命じられたが、川の向こうには7万5000人の兵が残されており、この友軍が撤退できるようレマゲン鉄橋をぎりぎりまで残し、連合軍が間近に迫ってから破壊しようとする。将軍は腹心の部下、クリューガー少佐を橋防衛部隊の指揮官に任命し、連合軍が橋の目前まで迫るまで爆破しないように指示する。 クリューガー少佐が橋に赴くと、書類上では防衛隊1600名の兵員が実際はほとんどおらず、爆破のための爆薬すら無い逼迫した状況であった。少佐は、爆破の準備や橋の防衛陣地の構築とともに増援部隊の派遣を要請するが、いくら要請しても生返事ばかりで一向に援軍が来る気配は無い。そうしているうちに、アメリカ軍のバーンズ少佐指揮の機甲歩兵大隊に所属する先遣隊が橋の間近まで迫り、橋をめぐる攻防戦が始まる。 ーWikipediaよりー

    2021年06月29日13時41分

    TR3 PG@

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    これは映画のストーリーなので、少々演出があるようですが、かなり史実に忠実に描かれているそうです。 米軍は戦車を先頭にレマーゲン市街戦を制し、このレマーゲン側の橋頭まで達し、独軍はエルペル側の橋頭、その背後のトンネル、そしてエルペラーライ上の高射砲部隊で対峙です・・・。 が、当時の独軍の連携が混乱し・・・結果として橋を破壊しきれず、米軍が橋を突入していったそうです・・・ いや〜狭い橋の上、突入していった米軍部隊の勇気は計り知れないですね・・・ もちろん、こちら側からは戦車や野戦砲による援護射撃があるとは言え、ですよ(^_^; 映画「レマゲン鉄橋 The Bridge at Remagen」は調べて見るとAmazonでDVDが売られているようなので、一度見てみたいと思います。

    2021年06月29日13時41分

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