はしびろこう
ファン登録
J
B
この文章を書いた人は自分も「悲しい生き物」の一人であると認めている、簡単におのれの存在にしみこんでいる「利己心」から抜け出せないと思っていて、自分の存在の「悲しみ」の理由のひとつをじっと見つめている。おそらく、心のなかに、解決不能な苦悩を抱えこんでいると思います。アダム・スミスなら、「利己心」を肯定的にとらえたうえで、「利己心」をもつ者同士の「共感」という、こころのなかの不可思議なはたらきに触れることでしょう。「利己心」の底を掘り進めていくと、別なものが見えてくることもあるのではないのか。少なくとも、そのような「出遭い」というものを誰もが一度くらいは体験していると思います。「共感」の中心にある場所は、相手の「悲しみ」に共感する場所ではないのか、とも思います。
2021年05月10日20時42分
「どんなことでも」やってのける! 本当にそういう人は、自分のことを悲しいとは思わないのではないか? これを書いた人は、そういう人ではないと思う。 「たいていのこと」はやるかもしれないが。 私もその一人でありたい。
2021年05月14日14時26分
いや~ぁ まあ 知らずのうちにやってしまってる それを含めての<諫め>の<戯言> しかり反省だったりね たぶん仏陀の教えかなぁ 般若心経のなかにそんな意味の行ないっけ?
2021年05月23日14時37分
ある男の写真日記
悲しい生き物なのかな? 資本主義の世の中で人に迷惑掛けなく 一生懸命自分の目的に突き進むことは立派だと思います。 日本の戦後復興をも否定し悲観的な言葉だと思いますね。 こんなことを書くべきではない。
2021年05月10日12時32分