TR3 PG@
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さて、ライン川沿いの散歩もボイエルのケネディー橋まで来ました。 では、橋を歩いて渡って帰るか・・・とも思いましたが結構歩き疲れました(^_^; ということで、ボイエルの街中からトラムに乗って戻ろうと街中へ・・・ すると橋の袂にこんな家がありました・・・風格・色合い的に何かの由緒を感じてとりあえずカメラに収めてきました。 後で調べてみると、やはり!(^_-) コメント欄に続きます・・・
TR3 PG@
調べて見るとびっくり情報が見えてきました。 なんとこの家を建てたのはライン川の渡しを仕切っていたヨハネ・パウロ・メーレムの家で今は音楽学校になっているようです。 18世紀か19世紀の建物のようですが、面白いのは主人のメーレムの仕事です。 「橋マイスター Brückenmeisters」という仕事です。 先に紹介した「興味深い歴史モニュメント」で既に書きましたが、ボンとボイエルはお互いに要塞を築いて対峙していましたが、18世紀のユトレヒト条約によって平和が訪れ両岸の行き来が始まりました。 その時に架けたのが両岸にロープを渡し、それを利用してボートで行き来する「フライングブリッジ」というものだったそうです。 その権利、操作を一手に引き受けていたのがメーレムだったとか。 こんな家が建つくらいでしたから相当儲かったのでしょうね。 もっとも、19世紀には鉄鋼の橋が架かりましたから、その後どうなったかまでは分かりません・・・
2021年03月18日01時59分