yoshi.s
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10年。鎮魂。 悲しみを忘れず。 未来を見よう! 瞑目,黙祷 *10年前のこの日、私たち家族も避難民の一人でした。 地震後、まず津波からの避難。小学校の体育館に数日間寝泊まりしました。夜空が不気味なほど美しかったことを憶えています。2日後に自衛隊の炊き出しを受けました。 続いて原発爆発による放射能からの避難。東京の息子のアパートで、家族が身を寄せ合って過ごしました。 家に戻ったのは2週間後でした。家に住める、ということに安堵しました。 今日の青空を見ると、感慨深いものがあります。
はなてふさんは、むしろ26年前の神戸大震災の方が印象に強く残っているのでしょうね。 10年前の今日の東日本の方は、地震と津波、さらに原発爆発の三重苦でした。 あのことから何を学ぶのか。 生きていることの喜びです。 それには、希望を持つことです。
2021年03月11日17時11分
あの津波の惨劇はいつまたどこで起こるかもしれません。今日一日は 亡くなられた方々のご冥福を祈りながら身の引き締まる思いで過ごしました。 yoshi.sさまも避難なさったのですね。さらに原発でも辛い経験をなさったのですね。 でもご家族皆さんご無事で何よりでした。
2021年03月11日21時45分
10年前はまだJSTVの国際ニュースを見られていました。 普通はニュースが終わると画面が暗くなるのですが、 この時はずっとニュースを流していました。 最初の報道では死者の数が少なかったのにだんだん多くなっていって。 こちらではすぐ原発の報道をしていましたが、NHKでは かなり遅かったように記憶しています。 ☆こぶし咲みまたも季節はめぐり来ぬ 関係ない話ですが女優の武井咲さんは「さき」さんでなく「えみ」さんだそうです。
2021年03月15日03時36分
旅鈴さん そうです。原発事故は、最初は放射洩れ程度のことでした。それが次第に、大きくなり、メルトダウンという言葉が言われるようになり、あとになって、爆発を起こしたと知らされました。 検証が不確かだったのと、国民がパニックを起こさないように、との政治的な思惑で少しずつの報道になったのでしょう。 私は、常識的に考えて行動しました。東京に避難したのです。 私のところで、どこかに避難したという人は他にほとんどいませんでした。 結果として、大事にならずに済んでよかったと思っています。 何十年も家に帰れなくなるかも知れないとの思いもあったのですから。 玉句頂戴しました。 武井咲は、えみと読むことは承知していましたよ。
2021年03月15日13時05分
HATTU
黙祷
2021年03月11日15時53分