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映画俳優之碑

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    調布からの帰りは歩きです。 角川大映スタジオ前の公園に建つ映画俳優之碑。 この碑は今後も増えていくんでしょうか、それとも日本映画全盛時に活躍した男優・女優だけを讃える趣旨なんでしょうか。

    コメント4件

    APPLEPIE

    APPLEPIE

    最近黒澤明さんの映画をちょくちょくアマゾンでレンタルしてみてます。 7人の侍、赤ひげ、生きるなどです。 気付いたんですが、「ああまたこの俳優さんが出てる」というのが多いです。 気になっている俳優さんは志村喬さんです。 なんというか、人間らしさというか、優しさなのか、魅力的な俳優さんですね ご存知でしょうか? この映画俳優之碑にしっかり刻まれておられるようです。

    2021年02月16日23時04分

    たま407

    たま407

    APPLEPIEさん コメントありがとうございます(=^・^=) 黒澤さんの初期の作品いいですね。 あの人の教養の素地はドストエフスキーやゴーゴリなどのロシア文学、それにシェークスピアで、もともとは画家志望でした。だから撮影時の絵コンテが後に画集として出版されるほど絵が上手いんです。 そう言えば、世界のトップ女優の1人、気高く美しいケイト・ブランシェットが大作『ホビット』に出演する際、黒澤監督の『乱』を100回観て、原田美枝子や宮崎美子の所作を研究したと本人がインタビューに答えていましたね。 志村喬は世界に誇る名優です。やはり『七人の侍』ですね。それに『生きる』の志村喬の役名は、私と同じ苗字なので親近感を持ちました(笑) 志村さんは、黒澤監督の極限まで役者を追い詰める演出に、徐々に精神を蝕まれていった三船敏郎を父親代わりになってかばい、「短気を起こすな」とよくなだめたそうです。 それでも酒を飲むと酒乱気味なり、猟銃に実弾を入れて車で成城の黒澤邸に乗り付け、周囲を回りながら、「黒澤!出てこい!」と叫んでいたなんてエピソードもありました。 個人的には70年に公開された真珠湾攻撃を日米双方の立場から描いた大作『トラ・トラ・トラ』を黒澤監督で観たかったですね。 二十世紀フォックス社が三顧の礼をもって迎えた黒沢監督でしたが、黒澤組の完全主義がコスト管理に厳しいハリウッドに通じるわけもなく(東宝にも切られていました)、対立を繰り返したあげくに降板。自殺未遂まで起こして晩節を汚したのは残念でした。

    2021年02月17日04時13分

    APPLEPIE

    APPLEPIE

    たまさんには色んなことを教えてもらえてm(__)mありがとうございます 黒澤明監督の映像は古いけど、なにか写真的なものを感じるシーンが多いです 赤ひげで、患者の少女が起きるシーンとか。すごいなぁと感じてました。 画家志望だったんですか。納得です ケイト・ブランシェットさんは綺麗な方ですね。ロードオブザリングで知った女優さんでした 日本の女優さんをハリウッド女優が勉強する?信じられないけど嬉しくなりますね 志村さんのエピソードもまた信じられない でも父のような存在というイメージは私と同じかもしれません。包容力、寛容力なのかな たまさんの苗字!書かれてよかったんでしょうか?^^偶然過ぎてビックリです この碑のおかげで、たまさんとこういった話をできます。意味がないわけじゃないかも^^ 乱を見てみようと思います。ありがとうございます。m(__)m

    2021年02月17日17時25分

    たま407

    たま407

    APPLEPIEさん コメントありがとうございます(=^・^=) 苗字も名前も超月並で、『生きる』の主人公がその苗字なのも、市役所の出世コースとは縁のない平凡な万年課長という意味合いで黒澤さんが付けたんじゃないかと思います。 名作と言われる映画(特に芸術性の高い作品)は、どのシーンも写真として通用するほど完成度が高いんじゃないでしょうか。 私が恐れ入ったのはアカデミー賞受賞作品『DANCE WITH WOLVES』(製作・監督・主演ケビン・コスナー、90年公開)です。どのシーンも写真として成立するほど美しく完成されていました。 ケイト・ブランシェットは慈悲深く美しい女神の役でしたからね。黒澤映画の着物を着た女優たちの所作に品格を感じ、懸命に学ぼうとしたんでしょう。やはり超一流の人は謙虚で努力を惜しまないんですね。 ちなみに、海外のスターが日本人から学ぶケースは少なくないんですよ。 戦前の話ですが、女形の中村歌右衛門(片岡仁左衛門だったかも)が歌舞伎のアメリカ公演で踊った際、それを観ていた当時世界一の美女とうたわれた女優グレタ・ガルボが感激し、「男性のあなたがなぜ私より女性の心の機微を表現できるのでしょう!私はあなたを心から尊敬しています!I love you!I love you!」と熱烈な手紙を送ってきたのは有名な話です。 また、世界的にヒットした映画『ブルース・ブラザース』(80年公開)で大ブレイクしたジョン・ベルーシは、テレビの人気コメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』で出し物にインパクトがないと悩んでいるとき、タモリの『笑っていいとも』(ビデオ)のタモリの仕切りを見て、「これだ!」とすぐに来日し、六本木の焼き鳥屋でタモリに教えを乞うたのも有名な話です。 このジョン・ベルーシは三船敏郎と共演したことがあります。 三船は77年公開の『スターウォーズ』に黒澤監督の弟子を自認する制作のジョージ・ルーカスからダース・ベーダ―役をオファーされたんですが、「子供の映画なんかに出られるか」と一蹴したんです。 ところが公開されると世界的大ヒット。それで三船も考えを改め、やはり黒澤監督の弟子を自認するスティーヴン・スピルバーグからオファーされた『1941』(79年公開)というコメディー映画に日本帝国海軍の潜水艦艦長役で出演したんです。 この映画で米国海軍大尉役のジョン・ベルーシと三船が共演したわけですが、映画はまったくヒットせず、「『スター・ウォーズ』に出ていればねぇ」と三船の判断ミスを嘆く声が上がったものです。 そうそう、思い出しましたが、スピルバーグとルーカスは『乱』の富士山麓のロケ地まで黒澤監督を表敬訪問して、黒澤はご機嫌で世界一有名な監督になった2人にいろいろ説明している映像が残っています。

    2021年02月28日02時42分

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